件名:伝説のオオアリクイは転生者の前では経験値でした
「……下がるのじゃ、御夫人」
主人が静かに呟きました。
彼はゆっくりと後ろ足で地を踏み締め、「無呼吸運動・神威の構え」を取りました。それは、かつて魔王討伐の際に用いた「決意のポーズ」です。
その瞬間、森に静寂が訪れました。
「あれはカムイの構え……」
「あのポーズを取るということは……」
フクロウの老夫婦が低く呟きます。
「伝説に記された“オオアリクイ大戦”が始まる……ッ!」
「封印されし聖獣が再びその力を振るう日が来るとは……」
「わ、我らの世代でこの瞬間を目にするとは……」
しかし、転生者たちはそんなことにはまるで気づかず、爆笑していた。
「……あなた、まさか本気で戦うつもりでは?」
「うむ」
「あなた、転生者相手にどう戦うおつもりですの?」
「む? それはもちろん、鼻で弾き飛ばすのじゃよ」
「……なるほど、それは素晴らしい戦術ですわね」
「ふむ、判ればよい」
実際に有効かどうかはさておき……。
「あなたこそ、どうか私の後ろへ」
暫くの間、転生者たちは主人と私を見ていました。この世界で生きる者ならば、そこに込められた威厳を感じ取ったでしょう。
しかし――。
「おーおー、でかいのが出てきたなwww」
「こいつ伝説級の魔物じゃね?www」
「Sランク級の戦利品、いただきますかwww」
それでも彼らは確かに笑っていました。まるで、目の前で「ゲームのレアイベント」にでも遭遇したかのように。
シュンッ――。
レイヴンの手元に光の刃が生まれました。
彼は特に意識することもなく、それを軽く振るいます。
スパァン――ッ。
風を切る音がしたはずです。
その一閃は、まるで草でも刈るかのように、あまりにも軽やかでした。
何が起きたのか理解できず、私は幾度か瞬きをしていたと思います。
――オオアリクイの主人が、動きを止めていました。
「……嘘だろ?」
「オオアリクイ様が……」
森の生き物たちの声が震えていました。
彼らにとって、主人は「森を守る聖獣」なのです。
魔王を討伐し、勇者と共に戦った伝説の戦士。そして、長年この地で静かに生き続けてきた、齢数百歳の神聖なる存在。
しかし――。
その伝説が無情にも一瞬で崩れました。
主人は力なく地に伏しています。
乾いた土が彼の鼻先を覆いました。
「まだ……ワシは……アリと共に……」
私は彼の姿をじっと見つめました。
「結局最期まで、アリのことですか」
かすれた声が、微かに森に響きました。その声はどこか穏やかで、そして皮肉めいていたでしょう。あなたは最期の瞬間まで、アリと共に生き、アリと共に逝くつもりだったのでしょうね……。
長い鼻先が地面に落ちる。
主人はもう動きません。
「え、こいつ、マジで雑魚すぎwww」
「さすがにワンパンとか勘弁しろってwww」
彼らはクエスト報酬の話をしながら、呑気に背を向けました。そして、ふとレイヴンが気づきます。
「てかさ、実は“隠しボス”だったりしない?」
「もしそうならもっとゴツくなるっしょwww」
「でも討伐証明いるじゃん? ってことは、ギルド的には“何かしらの重要存在”ってことだよな?」
その会話を聞いて、私はウツロな眼差しを向けました。
「あら……ようやく理解しましたの?」
だが、彼らの次の発言は違った。
「とりあえず、証拠用に鼻でも切り取っとく?」
私は静かに、そして幾度も深く息を吐きます。
――なるほど、やはり愚か者ですわね。
「お、クエスト報酬ゲット〜」
金髪碧眼の少年レイヴン・アストリアの軽薄な声が、静まり返った森に響きます。
森の生き物たちは、ただ震えていた。
彼らにとって、これは悪夢だった。
だが、彼らにとっての「悪夢」は、転生者たちにとって「クエスト完了の記念」だった。
レイヴンは満足げに笑みを浮かべたまま、仲間たちと肩を並べ、帰路につこうとしています。
その瞬間、私は地を踏み込んだ。
シュバッ――!
「……人間さん。あまりにも軽薄ですよ」
彼の命を刈り取ろうと爪を振るいました。
鋭い一閃が、レイヴンの背中に食い込みます。
狙いは正確だった。幾ら転生者であろうと生身の肉体を持つ以上、多少の痛みは感じるはず。
――しかし、レイヴンは振り向きすらしません。
「あぁ?」
彼は、ただ首を傾げていました。
背中には確かに深い爪痕が残っています。
けれど、その傷は瞬く間に綴じられ、何事もなかったかのように消えていきました。
「は? 僕って今オオアリクイに引っ掻かれた?www」
「いやいや、まさかwww」
「ってか、痛くも痒くもないでしょ?wwww」
彼はゆっくりと手を挙げます。
その手のひらには、輝かしい黄金の光が収束していました。
「はいはい、無駄な抵抗ね。"世界最適化"――発動っと」
ゴォッ――!!!
轟音とともに、私は弾き飛ばされた。
地面が割れ、私は木々を薙ぎ倒しながら転がります。身体が木々を突き倒して激しく揺さぶられ、意識が遠のきました。
それでも――目を閉じることは許されなかった。
視界に映るのは、明瞭な悪意を感じる「冒涜」です。視界の端に、ぼやけた主人の亡骸が映りました。
そして、その周囲には転生者たちの姿。彼らはクエストの「証明」を手に入れるために――主人の亡骸から、身体の一部を剥ぎ取っていました。
「うぇ、マジでやるの?」
「だって、ギルドの規定で「討伐証明」必要じゃん?」
「ま、いいか。ちょうど鼻とか、証拠になりそうだし?」
私の呼吸が、一瞬止まった。
視界がぼやけて頭の中がぐらつきます。
彼らは笑っていた。
まるで、主人が「物」であるかのように。
私の中で、何かが音を立てて崩れた。
「……まったく、品性の欠片もありませんのね」
鋭い鉤爪を幾度も地面に突き立てますが、この森は静かでした。まるで、最初から何もなかったかのように。
明日もまた、平和な朝が来るはず。
――そして、最も愛する朝が私たちを照らしてくれるはず。
現実は違いますね。
そんなはずがありません。
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