件名:このメールを削除しても無駄ですわ
しばらく進むと、私たちは古びた建物の裏手に辿り着きました。小さな扉の前には、粗野な獣人族の門番が二人、腕を組んで立っています。
「ここから先は部外者お断りだ」
ふむ……これは厄介ですわね。
リアンさんが何か言おうとしたその時、私は優雅に一歩前へと進みました。そして、すっと首を伸ばし、穏やかに微笑むのです。
「おや、まあ……これはこれは。貴方がた、この御婦人をどなたと心得まして?」
獣人たちは、一瞬ぎょっとした表情を見せました。
どうやら、私が想像よりも"大きな犬"に見えたようです。
「な、なんだコイツ……貴族のペットか?」
「おい、やばい……貴族の犬とかめちゃくちゃ強いタイプじゃね?」
「違います、彼女はボルゾイ御夫人です!」
「誤解ですわよ。私はオオアリクイです」
「いや、どっちにしろ怖えぇよ!!!」
門番たちが焦り始めたその時、リアンさんが呆れたように溜め息をつきました。
「いいから通してよ。私たちは情報を買いに来ただけなんだから」
門番たちは顔を見合わせると、しぶしぶ扉を開けました。
こうして私たちは、転生者たちの密売市場へと足を踏み入れたのです――。
密売市場の中では、様々な違法取引が行われておりました。
「楼閣ダンジョン産の魔法石! 転生者限定! 先着3本!」
「召喚スクロール“レッドドラゴン”! 超お得価格でご提供!」
「日本の甘味ベイクドモチョチョ、おひとつどうぞ!」
……なんでしょう、この世界観は?
もはや転生者たちの雑多な文化交流と化しているではございませんか。
そんな中、一人の影が私たちの前に立ち塞がりました。
黒いローブを纏い、顔を半分隠した男――転生者専門の情報屋。
「……まさか、お前たちが“アイツ”か?」
「え、もしかして御夫人の知り合い?」
「"転生者の魂を狩る呪いの主"……つまり、“ボルゾイ未亡人妻”だよ‼︎」
「……その名称、私が決めた覚えはございませんが?」
情報屋は私たちをまじまじと見つめました。
一瞬だけ鼻で笑いかけたが、何かを思い直したのか、真剣な表情に変わる。そして僅かに声を潜め、低く呟いた。
「転生者の間でお前たちの噂が飛び交っている。メールを送ってきた“発信者”を探しているやつもいる。お前たちはどうなんだ?」
私は優雅に微笑みました。
「私たちは、ただ情報を集めているだけですわ」
男は私たちをしばらく見つめた。
まるで砂漠の陽炎でも見るような目つきで、何かを測るように。そして、ゆっくりと息を吐き、静かに呟くのです。
「なるほど……ターゲットはもう定まってるみたいだな?」
私は優雅に微笑みながら、そっと差し出された紅茶を啜ります。
「ええ。ですが、それは貴方には関係のないことですわ」
「……いやいや、関係あるだろ」
情報屋は腕を組みながら、じっと私を見つめる。
その目はまるで、品定めをする商人のように鋭く、何かを計算しているようでした。
「そもそも、お前たちは何者なんだ?」
「何者とは……?」
「だってさぁ、“転生者狩りのボルゾイ御夫人”とか言われてるけど、実際にしてるのはメールだけだろ?」
「誤解ですわ。私は未亡人妻オオアリクイです」
「いや、どっちでもいいわ!」
彼が思わず肩をのけぞらせるほどの勢いで突っ込んだ瞬間、リアンさんが軽やかに手を挙げました。まるで「はい、ここで訂正入りまーす」とでも言うように。
「ううん、どっちでもよくないよ。この御夫人はちゃんと“狩り”もしてるよ!」
「えっ、マジか⁉︎ じゃあ実際に誰かを……」
「ううん、まだしてない」
「してないんかい!」
情報屋は額を押さえ、そのまま壁に寄りかかりました。
ついでに頭も壁にゴンッとぶつけるのです。
「おいおい……噂ばっかり先行して実際に行動してないとか、ただの都市伝説じゃねぇか!」
「ふふ……都市伝説とは、むしろこの状況こそが最も“正しい”在り方なのですわよ?」
私は静かに鼻を鳴らすと、情報屋がギョッとした顔をする。
「……は?」
「転生者たちは、自ら噂を広め、自ら恐れ、自ら怯えている。そして、その恐怖が積もれば積もるほど、現実の呪いとなって根を張っていくのですわ」
そっとガラケーを掲げ、ポチ、ポチと軽やかにボタンを押しました。
「だから、私は何もする必要がございませんの」
瞳を閉じたリアンさんが腕を組みながら微笑む。
「うんうん。御夫人がメールを送るだけで、転生者たちは勝手に怖がってくれるからね!」
情報屋はその言葉を聞き、冷や汗をかきながら苦笑する。
「……なんか、それが一番怖い気がしてきたんだが……」
私は微笑んだまま、そっと一歩前へ。
「では、貴方が提供できる情報とは?」
「……ターゲットの居場所くらいなら、すでに知ってるぜ」
情報屋のその言葉を聞いた瞬間、私は静かに瞳を伏せました。
――ついに、ですわね。
この一年間、主人を殺した転生者を追い続け、幾度となく痕跡をたどり、それでも確かな手掛かりには届かなかった。けれど今――確かにその者が、この街にいるのですわね?
私はそっと鼻先を上げます。
「……詳細をお聞かせ願えますか?」
私の問いかけに、情報屋は僅かに肩をすくめると、酒場の暗がりを見回しながら低く呟く。
「ボルゾ……申し訳ない。オオアリクイ未亡人妻が探してる転生者の名前は"ヴァッカス"で間違いない。この辺りでは"疾風のヴァッカス"って異名で呼ばれてるな」
すっと耳を傾けた。
「転生後のスキルは【神速】だ。発動すれば、短時間だけ身体能力が大幅に向上するアクティブスキルだ。ただし、使用後は一定時間、反動で動けなくなる」
「彼の職業は?」
「冒険者ギルドでは【ランナー】として登録されてる。戦闘職じゃなく主に斥候や運び屋とか、偵察任務をやってるやつだな」
リアンさんが、ふーん、と小さく呟く。
「【ランナー】って珍しい職だね」
「連絡役とか、密輸なんかを請け負ってるんだろうな。戦闘職じゃねぇが逃げ足は異常に速い。簡単には捕まえられねぇぞ?」
情報屋がテーブルの上に地図を広げ、指である一点を示した。
「今はここ――"砂鼠亭"っていう宿に泊まってるはずだ」
「……"砂鼠亭"?」
「おう。街の南側にある宿屋だが、ヤバい債務者連中の溜まり場でもある。そこの連中が用心棒になってるから、無理に突っ込むと厄介だぞ」
私は静かに微笑んだ。
「厄介な状況ほど、手の打ち甲斐がありますわね」
情報屋は私の言葉に片手を上げ、どうでもよさそうにひらひらと振った後、さらに一言付け加える。
「それと、もうひとつ――そいつも知ってるか?」
そう言って、彼は手元の書類をめくる。そこに記された名前を目にした瞬間、私は目を細めました。
「……レイヴン」
その名を一度だけ私は口にする。
そして情報屋は頷いた。
「ヴァッカスは、かつてレイヴンと同じパーティにいた青年だ」
リアンさんの表情が険しくなる。
「つまり……御夫人があの男と出会った時、一緒にいた可能性もあるってこと?」
「そういうことだな」
私は静かに地図を見つめた。
――あの時、主人の亡骸を前にして、私は確かに「レイヴン」と対峙しました。
そして今、そのレイヴンの仲間であった者が、手の届くこの街にいる。
ふふ、奇妙な巡り合わせではございませんこと?
「……ええ、ようやく繋がりましたわね」
私は静かに微笑み、ガラケーを開きました。
ポチ、ポチ、ポチ――。
夜風に揺れる砂漠の街で、私は優雅に次の一手を送信する。
【送信済みメール】
件名:「このメールを削除しても無駄ですわ」
送信先:ヴァッカス
「さあ、どう出ますの?」
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