(お江様)3
甲斐姫はいやいやとばかりに首を左右に振った。
そしておもむろに言う。
「上様のお気持ちは分かります。
騎乗姿をお江様に披露して、驚かせたいのでしょう。
それはそれはとても素晴らしい事です。
お江様は大喜びされるでしょう。
・・・。
ですが、お気持ちはお気持ちとして、別の狙いもあるのでしょう。
それとも、本音と言い換えましょうか。
酒井家次殿、違いますか」
お江様と辰千代殿の護衛が酒井家次。
徳川家の家臣団筆頭であった酒井忠次の嫡男であった。
その男の目に騎乗姿を見せ付けたかった。
百の言葉より一つの事実。
私は子供ではあるが、もう騎乗ができる。
つまり、戦場で相まみえるのも近い、と。
家康への無言の意志表示・・・。
賛同したばかりの上番頭二人が色をなした。
お茶を手元に置いて与太郎を諫めた。
「上様、悪戯が過ぎます」
「家康殿はともかく、周りの者共は曲者ばかり。
わざと勘違いするやも知れません」
甲斐姫が重ねた。
「お勇ましいのは結構ですが、時期が悪すぎます。
南の島津、北の伊達、それも終わらぬのに徳川ですか。
お手を広げ過ぎです」
ここまで言われるとは思わなかった。
ほんの悪戯であった。
家次の目を通して、家康にそれとなく伝えたかっただけなのに。
もう馬に乗れるぜ、と。
甲斐姫の介助なくしては乗り降りできないけどね。
大人達が諫めるのは分かった。
そうかも知れない。
どこにでも喧嘩を買いたい奴はいる。
ただの短気な奴、曲解するのが得意な奴。
生憎、与太郎はそこまで考えていなかった。
ただの浅慮な子供であった。
与太郎は大人達を見回して頭を下げた。
「済まぬ」
それに大人達が微笑んで頷いてくれた。
「「「宜しいのですよ。
私共は諫めるのも仕事です。
でも決して頭を下げてはなりません」」」
「謝罪にも様式美があるのか」
お馬廻りの上番頭が言う。
「上様は上様です。
家臣には言葉だけで十分です。
言葉を下されば、それだけで伝わります。
改まって頭を下げられては、下げられた方が困ります」
「そうなのか」
近習の上番頭が言う。
「ええ、上様のお言葉は千金、いや、万金のお値打ちもの。
お言葉だけで十分です」
甲斐姫が微笑んでいた。
与太郎は改めて尋ねた。
「しかし、甲斐姫、今の徳川であれば、
大老中老奉行の軍で潰せると思わぬか」
大老四家、中老三家、奉行五家。
彼等は二つの討伐に軍を出していない。
もし、徳川家討伐の軍を起こすとなれば、
彼等を糾合すれば徳川家と互角か少し上回る。
これに豊臣家の軍を加えれれば、数的に大きく上回る。
負ける姿が思い浮かばない。
すると甲斐姫がジッと与太郎を見た。
「上様、数に驕ってはなりません。
桶狭間の戦いはご存知ですよね」
「知ってるもなにも、大伯父様の戦ではないか」
「そうです。
戦は数ですが、同時に生き物です。
切っ掛け一つで想定外の事が起きる、それが、ままあるのです」
「そうか、ままあるのか」
「ええ、ままあります。
ですから私共は慎重の上に慎重を重ねる必要があります」
「つまり私の前に数の壁を幾重にも置くのか」
「当然です。
何が起きても揺らがない数を揃えます。
それが揃うまで我慢して下さい」
甲斐姫ははっきり口にしないが、たぶん、これだろう。
比べる首は二つ、家康の首と私の首。
重さは家康だが、価値は私にあった。
それというのも、家康の代わりはふんだんにいた。
彼自身の子供に孫、そして分家の子等。
徳川家というより、松平家の支族は内で争うほどいた。
羨ましい事に争っても争っても三河の地から一向に消滅しない。
対して私には一人もいない。
木下家であれば血縁は存在したが、代わりには成り難い。
ああ、そうか。
例えるなら競馬だろう。
日本競馬のクラシック三大タイトル、皐月賞、日本優駿、菊花賞。
それを秀パパがもぎ取った。
その血を繋いでいるのが与太郎、ただの一頭。
正に誉ある絶滅危惧種。
となれば牧場から競馬場の道はない。
当初から繁殖用の牡馬として大切に育てられる。
そう、今のように。
甲斐姫や周りの者達の言動から察するに、形だけとはいえ、
家康との戦には同伴させてくれるらしい。
巨大な連合軍なので与太郎を戴く必要があるからだ。
過保護な形になるだろうが、皆の気持ちは理解できた。
たとえばだが、家康を討ったとしても、
同時に与太郎が討たれては何にもならない。
それは負けに等しい。
家康には代わりが存在するが、与太郎にはそれがない。
与太郎の死は豊臣家だけの滅亡だけでは済まない。
大坂で組み上げられた公儀の瓦解に繋がる。
全土が再び下剋上の炎に包まれる。
話し合いで城外での乗馬調練は認められた。
ただし、二日に一度の希望が、暇を見て、と押し切られた。
そして一つ、付け加えられた。
徳川家の目の届かない場所で、と。
日頃からお世話になってる大人達に強く逆らえる筈もなく、
そこで手を打った。
まあ、城内での乗馬調練自体まで規制された訳ではない。
正しい妥協だろう。
私にとっても彼等にとっても。
私は独裁者を目指しているのではない。
いつまでも、こうやって供回りの言葉に耳を傾ける人でありたい。
見ず知らずの人はどうかと思うが、
気心の知れた供回りであれば高い確率で信頼が置けた。
ましてや諫めてくれるとなれば、もう大歓迎。
喜んで耳を傾けよう。
そもそもの私はちっぽけな存在。
小人。
置かれた立場から、一つでも成功すれば、自惚れに陥ると思う。
天上天下唯我独尊。
それだけは何としても避けたい。
それを避ける為にも他人様の言葉に耳を傾けたい。
ついでと言ってはなんだが、他人様から知恵も引き出したい。




