(始まりは突然に)9
見送りの後は与太郎の執務室で会合を行う予定であった。
大老中老奉行に少数の御伽衆を交えての、
早い話、徳川家対策だ。
ところが、城門での見送りに大名衆も連なった。
来てくれた彼等に、その場で解散しろとは言えない。
困った片桐且元が漏らした。
「上様、如何しますか」
「皆は心配しているのだろう。
一手間違えれば大乱になるからな」
「江戸攻めですか。
それを期待してる者達ばかりですな」
言わぬが花。
「取り敢えず大広間にて、皆にお茶と茶菓子を振舞ってくれ。
その後、皆の前で朱印状を詰めよう。
なあに、こちらに隠し事はない。
詳らかにしても問題なかろう」
所謂、情報の共有。
こちらに疚しい事は一つもない。
詰まらぬ噂の拡散、疑義は避けるには好都合。
淀ママは見送りには来なかった。
大広間への御出座も見合わせられた。
侍女によれば、昨日の疲れで今日は控えられる、とのこと。
勿論、与太郎に異存はない。
後ろからの圧が減るのは大歓迎。
お大事に、と侍女に言付けた。
大広間はおっさん達でムンムン。
もしかして、昨日より増えてはいないか。
そんな中、片桐且元が進行役を務めた。
「昨日、徳川殿の見舞いを曽呂利新左衛門にお願い致しました。
曽呂利新左衛門殿、こちらに」
亡き秀パパの御伽衆だった一人。
今も引き続き、与太郎の御伽衆を勤めていた。
その新左衛門がそろりそろりと進み出た。
与太郎は彼を労い、見舞いの様子を尋ねた。
すると新左衛門、顔を伏せて言う。
「徳川殿の御家来衆に、子供の使いのようにあしらわれました。
誠に持って申し訳御座いません」
詳しく聞けば、面会どころか、門内に入るのすら拒まれたそうだ。
与太郎は笑みを浮かべた。
「その程度で引き下がるお主ではなかろう」
新左衛門が顔を上げた。
「ええ、ですから上番医共々、門前に座り込みました」
「従者達もだろう、迷惑だな」
新左衛門が我が意を得たりとばかり言う。
「数で門の前を塞ぎました。
しかし、騒ぎにならぬよう、適当な所で引き上げました。
そこに抜かりは御座いません」
この適当の範疇が分からない。
しかし、彼の事だから駆け引きの一つには違いない。
与太郎は考えてから指示した。
「本日と明日、続けて三日になる、頼むぞ。
仮にも私の名代だ。
汚れぬように床几や縁台、傘を持って行け」
「宜しいのですな」
見舞い三日に意味を込めた、つもり。
「宜しい。
・・・。
で、屋敷の様子は」
「見知りの重臣の方々は一人も顔を出さず仕舞いでした」
軽輩に相手させて知らぬ顔の半兵衛か。
「咽喉が乾いたら、門前で茶を点てても良い。
大坂の地は当家の物、許す」
新左衛門が破顔一笑。
「それはそれは、大いに楽しみます」
与太郎は大老中老奉行衆を見遣った。
「朱印状は仕上がったのか」
大老筆頭、毛利輝元が応じた。
「仕上がりました。
浅野殿、まずは草案を上様のお手元へ」
五奉行筆頭、浅野長政が膝すりすり前に出て、
草案三通を片桐且元へ渡した。
それが与太郎の手元に。
一通目、御掟を破ったので徳川家康殿を大老より罷免する。
二通目、許しがあるまで家康殿は大坂屋敷で謹慎すること。
三通目、相模と伊豆、この二つの領地を取り上げる。
与太郎が草案を吟味する傍らで、輝元が草案を皆に読み上げた。
大広間に詰めかけた面々が声を漏らす。
「「「これは手厳しい」」」
「「「されど申される通り」」」
草案に問題はない。
どんな疑問にも対応できる文言ばかり。
良く練られていて安心した。
与太郎は輝元に尋ねた。
「これで良い。
ところで副状は」
面倒臭いが朱印状を保証する為に副状もセットになっていた。
それに相応しいのは、先方と書状の遣り取りをしている者。
「某が」
驚かされた。
一夜明けたばかりなのに輝元が、
大老筆頭としの貫目を身に付けていた。
役が人を作る、とはこの事か。
後は人選だ。
誰に届けさせる。
通達でもない、通告でもない。
最上位での決定、裁可、申し渡し。
翻せないものだ。
だけに迂闊な者は送れない。
「正使と副使だが、何か考えがあるか」
「喧嘩ごしの者や、猛々しいだけの者は送れません」
これには輝元も悩ましいようだ。
与太郎は大人衆を見回した。
「家康殿は御掟を破ったが、それより前は豊臣家、
織田家に大いに尽くしてくれた。
それに相応しい礼儀を持って当たれる者が良い。
誰ぞ心当たりはないか」
すると石田三成が声を上げた。
「宜しいですか」
「良い、聞かせてくれ」
「織田家の方々のお一人を正使としては如何ですか」
織田信長様は非業の死を遂げられたが、濃い縁者は大勢いた。
信長様の家系が子沢山だったのが幸いした。
秀パパは表立って反抗する者は潰したが、他は取り立てた。
弟妹、直系の子女の多くをだ。
明らかに役に立たない者にも少なくない給地を与えた。
与太郎も信長様と同じ血が流れていた。
秀パパは縁者の少なさを嘆いていたが、
与太郎にその心配はない。
亡き浅井長政の庶子ですら仕えているのだ。
枝葉が多い。
改めて血縁の大事さに思い至った。
与太郎は三成に応じた。
「織田家であれば老犬斎殿か、有楽斎殿であろう」