(島津家討伐)10
島津義弘は一万余を率いて内城救出へ向かった。
兵力は討伐軍に比べて少ないが、旗下の大隅衆が中核なので、
恐れは全くなかった。
中核は所謂、朝鮮へ渡海した者達なので、
島津全家では随一の戦力、とそれなりに自負していた。
彼は急がせながらも各方面へ物見を走らせるのを忘れなかった。
内城まで一日の距離まで来たところへ、物見の一つが戻って来た。
物見の頭が下馬し、報じた。
「島津忠恒様、戦死なされました」
義弘は言葉を失った。
早過ぎた。
籠城した筈だろうに。
誰かが敵に内通して引き入れたのか。
その疑問が色に出ていたのだろう。
物見の頭が言う。
「城から打って出て、戦死なされたそうです。
詳しくはこの者が」
忠恒様に従って内城に詰めていた、という者が進み出た。
顔も具足も戦塵に塗れていた。
「申し上げます。
当初は籠城して皆様の後詰を待つつもりでございました。
ところが南蛮船から大砲三門が降ろされたのです。
それを聞かれたお歴々は、それでもって表門を打ち破るもの、
そう判断なされました。
若輩の某も同様の判断でございました。
反対する者もおらず、忠恒様自ら打って出られました」
判断に間違いはないだろう。
義弘はそう思った。
近習が続けた。
「先鋒は加世田兼盛殿でした。
それに忠恒様が続かれました。
目指すは討伐軍本陣の立花宗茂」
「なにっ、立花宗茂だと。
討伐軍の大将ではないか」
「はい、大将の立花宗茂の旗印がありました。
錦の御旗も掲げられていました」
討伐軍本陣は肥後口に置かれるものだとばかり思っていた。
完全に裏をかかれた。
「他の旗印は」
その者が討伐軍本陣に掲げられた旗印を一つ一つ告げた。
全ての九州の大名が揃っていた。
加えて四国の長宗我部家や石田三成。
義弘は臍を嚙んだ。
知らぬうちに唇も噛んだのだろう。
血の味がした。
義弘の脳裏に、策士策に溺れる、の文字が浮かんだ。
「石田三成殿までもか」
島津忠恒様戦死とあれば、内城へ急ぐ必要がなくなった。
まず肥後口の兄、島津義久へ使番を走らせた。
それから義弘は直ちに旗下の部隊を後方へ、
半日ほどの距離にある神社に本陣を置いた。
そこを中心にして守備陣形を組ませ、討伐軍の襲来に備えた。
物見が次々に戻って来た。
次報三報で島津忠恒様戦死が確認された。
加世田兼盛を始めとしたお歴々の戦死も報じられた。
四報を持ち帰った頭が意外な事を言う。
「内城が開城いたしました」
「開城した、と。
周辺には出城や砦もあったはず、それらは」
「何れも開城いたしておりました。
戦った気配自体がございません。
どれも無傷の様子。
それぞれに討伐軍の旗印が掲げられておりました」
暗かった陣幕内の空気がより深く沈んで行く。
なかの一人が物見の頭に尋ねた。
「亀寿様は如何した」
「不明です。
周辺を探しましたが、知る者には会えませんでした」
開城したとあれば亀寿様はご無事なはず。
身辺に侍る侍女達が自害を押し留めたはず。
義弘はそう思うしかなかった。
それよりも、と、肝心の事を聞き忘れていた。
気持ちを切り替えて尋ねた。
「討伐軍の様子は」
「今は周辺の城や砦の接収と、死傷者の回収で精一杯の様子。
こちらに向かう態勢にはありません」
一人が進み出た。
「ならば攻めますか。
こんまま引き下がっちゃ島津の名折れじゃ」
すると別の一人が嘲笑う。
「ふん、やめちょけ、やめちょけ。
おそらく公儀の軍ば味方だけじゃなくて、
我が方の死傷者も回収しちょるんじゃろうな。
それを攻めれっか」
もう一人が加勢した。
「じゃっとなあ。
手一杯に見せて、あの立花殿だ。
上辺はそうでも、何を企んどるのか、ようば分らん」
さらに三人目。
「志布志にさ上陸した公儀の軍ば忘れちょらんか。
このまんま前へ進めば、伊集院と合わさった軍に尻を突かれんぞ。
そいが好きなら、どうせいちゃ言わんが」
もう誰も攻めるとは言わない。
義弘も志布志に上陸した討伐軍の存在は忘れていない。
何しろ志布志は義弘が治める大隅の一角であった。
ところが島津諸家は薩摩第一主義なので、
どうしても大隅は後回しになってしまう。
今回もそう。
大隅には留守居の兵力しか残していない。
為に選択肢は籠城しかなかった。
大隅に残した兵力だけでは迎撃できなので、
静観するように指示した。
ただ、情報だけは上げるように厳命していた。
それによると、志布志に上陸したのはおよそ二万余。
うちの一万が大隅の備えに残り、
別の一万余が内陸部へ発したそうだ。
西走する討伐軍に伊集院家の兵力が合流した。
これまで姿を現さなかった日向の国衆や地侍衆も追い付いた。
瞬く間に三万近くに膨れ上がったそうだ。
それが島津義弘家軍と島津義久家軍の間に楔を打とうと・・・。
狡賢い事に、地理的な楔の位置には入らず、
何時でも入れる地点に陣を敷いた。
義弘家軍が内城へ向かえば、その背後を突く。
義久家軍が肥後口の討伐軍と争いになれば、
同じように背後を突く。
その姿勢が見え見え。
決して義久家軍と義弘家軍との間には入ろうとはしなかった。
これに義弘は困惑した。
討伐軍には選択肢が多くあった。
対して島津軍には二つしかなかった。
別個に戦うか、一つになるか。
どちらにしても降伏はない。
死して名を残すのみ。




