(始まりは突然に)8
双方共に動かぬ。
静中動あり。
一手間違えた方が負ける。
与太郎がそう理解した瞬間、双方共に床を蹴った。
今にも蹴破らんかの勢い。
左上段からの袈裟斬り。
左下段からの逆袈裟斬り。
起こりは見えたが、それからは目が追いつかない。
木刀と木刀が激突した鈍い音。
二人は鍔迫り合いに近い体勢で、道場中央で対峙していた。
木刀は中段で交差。
双方共に、中ほどで折れていた。
足下に割れ散らばる木片。
しかし二人の視線は互いから離れない。
師範代席から力強い声がした。
「よし、そこまで」
それが合図になった。
二人は飛び退り、手元に残った木刀で残心の構え。
それから、やおら自分の手元を見て、
不承不承ながらも納刀する仕草。
師範代席から伊東一刀斎が腰を上げた。
二人の間に入った。
「技では極めきれぬと見て、最後は力攻めか」
無二斎も小次郎も応じない。
表情からすると、その通りらしい。
一刀斎は嬉しそうに続けた。
「二人とも、いい歳のくせに青いな」
道場とは言っても町道場ではない。
本来は与太郎の為のもの。
豊臣家の武芸指南役が与太郎とその近習達を鍛える場。
代表して槍師範の渡辺糺が道場を管理していた。
なのだが、渡辺の人脈で、このところ訪れる武芸者が増えた。
彼は、豊臣家に仕える一方で、武芸者との交流を欠かさなかった。
悪い事ではないので、それを与太郎は黙認した。
結果、地方から来た武芸者達が寝泊りする事態にも。
それも黙認した。
外からの新しい空気は大歓迎なのだ。
師範席から腰を上げた渡辺が三人に歩み寄る途中で、
上り框にいた与太郎に気付いた。
慌てて駆け寄って両膝着いた。
「これは上様、ようこそお運び下さいました」
それを聞いた道場内の三人は大慌て。
一刀斎は床を滑る勢いで渡辺に並んだ。
無二斎と小次郎は急いで道場の掃除。
砕け散った木刀の破片を掃いて集めた。
上番の小姓組の筆頭、来栖治久が渡辺に事情を説明した。
それを聞いて一刀斎が脇から口を挟んだ。
「脇から失礼致します。
身体を解すのでしたら某にお任せ下さい。
武蔵の国に用賀と言う所が御座います。
その地の寺で某、ヨガなるものを学び申した。
これがなかなか良きもので御座います。
是非ともお試しを」
渡辺が口を添えた。
「某も試しに習っております。
身体を解すには良きものかと」
翌日は良い目覚めだった。
身体の節々が良く解れていると同時に、
筋肉が微量に増えているのが分かった。
一刀斎には感謝しかない。
外から空気を入れて正解だった、そう思った。
朝練していた与太郎の側に片桐且元が現れた。
片膝着いて本日のスケジュールを説明した。
聞いて驚いた。
やけに多い。
これまでとは明らかに違っていた。
与太郎の疑問を察したのか、且元が言う。
「政務を担っていた徳川殿が罷免されました。
それで、その分がこちらに回されました」
「元服はしたけど、まだ子供なんだけどね」
回避を試みた。
「昨日の上様の言動を見まして、皆が感心致しました。
流石は太閤様のお子、実に聡明にして、優れた決断力。
これなら少しは仕事を回しても宜しいのではないか、
そうなりまして、こうなりました」
なった訳だ。
朝一は城門での見送り。
伏見城へ向かう結城秀康とその軍勢が揃っていた。
結城家の兵と、当家から与力として就けた七手組。
だけではなかった。
大名衆や物見高い町の者達が文字通り黒山の人だかり。
与太郎が来ると全員が一斉に膝着いて出迎えた。
与太郎は【身体強化初級】起動。
人の多さに威圧されぬようした。
連動で、【第三の目】起動。
サーチで人々を解析した。
青、青、青の海。
少数派の黄色も見えるが、それは仕方ないこと。
ポツリポツリと見える赤色も仕方ないこと。
全てを青で染め上げる気はない。
批判勢力が有用なのは古今東西変わらない。
与太郎は皆の期待に応えた。
小姓組に囲まれた中から、見える範囲に向けて手を上げた。
すると町の者達であろう。
小さな悲鳴に近い歓声が上がった。
与太郎は片桐且元が待つ位置で足を止めた。
「ここで良いのか」
「はい、上様」
与太郎は予定通りに大きく合図した。
軍配、旗印、馬標を運んで来た小姓組が前に出た。
受け取る為に軍勢の方も、合わせて動いた。
秀康が主立った武将達を引き連れて前に出た。
与太郎は秀康を観察した。
顔色がすこぶる良い。
実父の立場を理解して、こうなのか。
まあ、戦に置いて親兄弟と敵味方に別れ、
お家の存続を図るのは当たり前のこと。
それを非難する者はいない。
「頼んだぞ」
「承知しました。
万事お任せ下さい」
後ろに控える七手組筆頭、郡宗保にも声を掛けた。
「秀康殿を頼むぞ」
「承知仕りました。
一同うち揃い、大いに励みます」