(始まりは突然に)7
与太郎は石田三成殿とは過去幾度も言葉を交わしていたが、
それはあくまでも儀礼的なもの。
秀パパの子とそれに遜る家臣。
が、それでは今回は意味を成さない。
柔和な表情を意識して話し掛けた。
「三成殿、その方の意見を聞かせてくれ」
三成殿は視線を与太郎に絡ませた。
色を読んでいる気配。
暫しして尋ねられた。
「某の存念で宜しいですか」
「構わぬ。
出来ればだが、耳が痛くなるような存念を聞かせてくれ」
三成殿が姿勢を正した。
「喜ばしい事に今回、徳川家の力を削ぐ機会が到来いたしました。
これを活かして、徳川家より大老職を取り上げ、
他の優れたお方を取り立てるべきです」
喜色を控えていた。
真摯な意見と言いたいのだろう。
与太郎は悪戯心で突っ込んでみた。
「ほう、成る程な。
で、その方は誰が念頭にある」
「んっ、しっ、・・・失礼つかまつりました。
それは徳川家の処遇が決まってからの談合になります」
三成殿は思わず名前を出すところ、咄嗟に切り替えた。
この正直者。
それは誰なんだ。
与太郎は表情を保った。
「父は秀忠殿に継がせると申したと言う。
それを破って良いのか、その方はどう思う」
三成殿は両手を畳に着き、上目遣いで与太郎を見た。
「先に破ったのは家康殿です。
よって、こちらも約を守る必要はないかと存じます」
三成殿の言は頷ける。
しかし、だ、先に相手が破ったからと言っても・・・、なあ。
秀パパ、どうしよう。
三成殿が続けた。
「秀忠殿には千姫様もございます」
ああ、そうか。
許婚か。
確か一昨年か、生まれたのは。
秀忠殿と叔母様の間に生まれた子だ。
無事に育つかどうかは分からぬが、
秀パパと家康殿の間でそう取り決められた。
三成殿はこれを機に、解消させたいのだろう。
突然、鋭い声。
「石田殿、それ以上はお控えなさい」
与太郎は声の主、淀ママを振り向いた。
するとそこには夜叉面がいた。
角が生えていないだけで、冷気を辺りに漂わせ、
三成殿をジッと見据えていた。
美形なだけに迫力満点。
耐えられぬのか、三成殿は顔を伏せた。
そうだった。
淀ママは家康殿とは馬が合わぬが、
秀忠殿とは叔母を介して親しくしていた。
その愛娘、千姫に至っては我が子のように思っていた。
与太郎は淀ママに穏やかに言う。
「石田殿の言は私の誘いに乗っただけのこと。
母上、どうかお怒りをお鎮め下さい」
与太郎は淀ママを置き去りにし、毛利輝元殿を振り向いた。
「これより輝元殿、その方が大老筆頭だ。
まずは家康殿と伏見城を片付けて欲しい。
それが最優先だ。
秀忠殿については、家康殿の後にしよう。
出来れば穏便な形で落着させたい」
すると輝元殿、目を輝かせた。
ただ単に喜んでいるのか、野心なのか、そこは分からない。
輝元殿が大仰な身振りで両手を着き、与太郎を見上げた。
「万事お任せください。
大人の衆と相諮り、誰もが納得出来る形で収めます」
早い話、秀忠殿の件は先送り。
これに誰よりも安堵したのは淀ママ。
言葉にはしないが、うんうんと深く頷いた。
淀ママは、徳川家の領地七ヶ国のうち、
相模と伊豆を取り上げる事が頭から抜けているようだ。
後で気付くかも知れないが、それはそれ。
公布した後では取り消せない。
ごめんねママ。
それにしても三成殿がおかしい。
近江の出身であるから淀ママ派閥、そう思っていた。
が、秀忠殿への言及からすると、淀ママの意を汲んでいない様子。
これは判断に苦しむ。
彼の軸足はどこに・・・。
泥沼か、まさかな。
与太郎は秀忠殿を先送りしたように、三成殿も先送りした。
実務は大人達に委ね、与太郎は淀ママを促して大広間を出た。
そのママが別れ際、与太郎に声を掛けた。
「秀頼、千姫や秀忠殿を粗雑に扱ってはなりませんよ」
「分かっております」
「本当に頼みましたよ」
淀ママ、それでも心配なのか、小姓の上番組にも声を掛けた。
「貴方達もしっかり秀頼を支えるのですよ」
心配性の一面を発揮して奥へ下がって行く淀ママ。
それを見送っていると小姓の一人が側に来た。
「上様、お疲れでしょうから身体を解しませんか」
「だな」
「それでは渡辺様の道場へ参りましょう」
渡辺糺。
与太郎の槍の師範だ。
身体を解す為に渡辺糺・・・、はて。
壊されへんか心配やな。
道場を城内の一角に構えさせ、渡辺糺に委ねていた。
それは陽当たりの良い場所にあった。
近づくと気合を込めた声が聞こえて来た。
そして木刀と木刀が激突する音。
床を蹴る音。
一合、二合、三合、激しい打ち合いだ。
与太郎は早足で道場に入った。
何時もは小姓達の誰かが、「躓きますよ」と注意するのだが、
今はそうではないらしい。
彼等も道場から発せられる闘気に、当てられたのだろう。
我勝ちに与太郎の後から入って来た。
木刀を肩に担ぐように構えているのは新免無二斎。
下段にてゆったりと構えているのは佐々木小次郎。
両者とも息を整えながら、ジッと相手の出方を窺っていた。