(徳川家大坂屋敷)1
鈍い足音は本多正信のもの。
入って来るや挨拶もそこそこに腰を下ろした。
「御政務に熱が入っておりますな」
面を上げて家康を見た。
その表情から、正信の進捗具合が分かった。
「申せ」
大坂城での出来事は一日遅れで詳しく入手できた。
島津家と伊達家への仕置き、東北の一揆鎮圧、錦の御旗下賜、
そして御馬揃え。
その決断に驚きと同時に危惧を持った。
危惧とは徳川家への余波であった。
今は決戦の準備を整えている最中。
余計な事に煩わされたくはなかった。
そこで正信に、仕置きに至るまでの周辺状況を探らせた。
徳川家は謹慎中なので表門を閉ざしていた。
それでも色々と物入りなのは事実。
居住している家臣や陪臣、小者が多い。
為に、食糧は元より、日々の諸々な品も必要とした。
それら必要な物は裏門から入って来た。
情報も品々を運んできた商人等に紛れて入って来た。
濃い付き合いの商家や大名からの、所謂、差し入れであった。
差し入れられた情報の裏どりをすべく、
正信の手の者が商人等に紛れて市中に潜った。
数は少ないが才覚のある者達ばかり。
正信が頷いた。
「裏を取り終えました。
大方、その通りでございました」
「間違いなかったのか。
あい分かった。
・・・。
ところでお主、島津家をどう見る」
「もう駄目でしょうな。
かつては九州を統一する勢いでしたが、それはもう昔の話」
「そう思うか」
「ええ、恐れられていた島津四兄弟も今は二人です。
安心して背中を預けられる相手が減ったのは痛いですな」
筆頭家老職にある伊集院家を潰そうとした結果が今の状況。
公儀が島津家討伐の仕置きを下した。
家康は島津義久に同情した。
「家中統制をしようとしただけなのにな」
正信が顔を歪ませた。
「島津家は上様を甘く診過ぎですよ。
あのお方は六才なれど、こう申しては何ですが、鬼子です」
「鬼子か、鬼子、そうだな。
たいした鬼子だ。
小西家と伊東家に手を回していたとはな。
公儀の大人衆にも秘していたのだろう」
島津家が伊集院家へ侵攻すると察知し、公儀を飛び越し、
内々に小西家と伊東家へ、伊集院家への支援を指示していた。
家康は念の為に正信に尋ねた。
「局面を打開する手はないのか」
兵は送れないが、物資の支援は考えられた。
「難しいですな。
こちら側の商家も断るでしょう」
「琉球から手を回すのは」
「すでに南蛮航路を見越し、琉球には人が送られています」
「そうか、島津家は終わるか。
・・・。伊達家はどうだ、追放されたが」
正信は言葉を選んだ。
「討伐の対象では御座いませんが、一揆共々潰されるでしょう」
「やはり、公儀からの追放だけでは終わらぬか」
「周辺大名衆に嫌われておりますからな。
例の葛西大崎一揆の件で。
そうそう、佐竹が妙な動きをしております」
家康は不思議そうな顔をした。
「んっ、お馬揃えではないのか」
「公儀に、一揆討伐に加われるように働き掛けております」
「それは・・・、常陸に隠居している義重殿か」
「どうもそれらしいと」
「すると南部と佐竹で挟み撃ちか。
しかし、世知辛いな」
「追放されたお家を庇う大名はないでしょうな。
事に伊達家ともなると」
「一揆討伐のついでに伊達領を分け合うか。
その時、最上家はどうするかな」
興味津々な家康を正信は見返した。
「周辺大名と分け合う名目で押し入り、
伊達の血筋だけは残そうとするのでしょうな」
「彼の者はそんな健気な奴だったかな」
「実妹が政宗の実母ですから」
感慨深そうな家康に正信が意見具申した。
「少し嫌がらせをしましょうか」
「豊臣家へか」
「ええ、錦の御旗下賜に少々」
「少々・・・、少々で済むのか、お主が。
まあいい、聞かせてくれ」
「公卿公家の衆を釣り上げてみましょう」
家康は正信の考えに当たりをつけた。
「高い釣りになるな。
聞かぬが、銭金は程々にな」
「お任せを」
正信の表情が和らいだ。
これまでの鬱憤が晴れたかのような表情。
機嫌よく尋ねた。
「ところで、城から先触れがありましたが、どうなさいます」
公儀から、一揆鎮圧の軍が関東を通る、との通達。
しかし徳川家としては、今の状況でおいそれと承諾はできない。
返答を渋ると、了承を得る為に交渉の使者が来るとのこと。
その使者は真田昌幸。
「昌幸殿だからな、簡単には断れん」
家康の養女が真田昌幸の嫡男に嫁した。
実父は本多忠勝。
正信が眼を大きくした。
「面白いでは御座いませんか。
昌幸殿で結構結構」
「何が結構なのだ」
「お耳汚しになりますが、お聞きになりますか」
「お主の話はいつもお耳汚しばかりだ。
もう慣れてしまった、それでは申せ」
正信が膝を進め、小声で考えを述べた。
聞いた家康は呆れた。
他人事なら笑って済ませられるが、生憎と当事者。
「そこまでするか」
「交渉ですので。
それにこちらに損は御座いません」
「確かに・・・、徳川が残せるかも知れんな」
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