(始まりは突然に)5
与太郎は執務室で待っていたのだが、なかなか呼びに来ない。
前田利家主導下、四大老三中老五奉行で談合しているので、
それほど待たれない筈なのだが。
予想に反して時間を食っていた。
じっとしていられない。
気がせいた。
誰かがこちらに早足で向かって来た。
足音を消す消さないに関わらず、
【第三の目上級】を起動したままなので、見逃す事は有り得ない。
おっと、片桐且元ではないか。
家老自ら呼びに来るとは、人材不足か。
こらあかんな。
「上様、不測の事態です」
廊下で片膝ついて片桐が言った。
珍しく顔が強張っていた。
こういう時こそ沈着冷静に、与太郎はそう思った。
「如何した」
「離れで控えていた徳川殿が、腹痛で城から下がられました」
意表を突かれた。
思わず片桐を見返した。
「もう一度」
「離れで控えていた徳川殿が、腹痛で城から下がられました」
聞き間違いではなかった。
暫し考えた。
都合が悪い、そこで腹痛を装って下城、ついでに臥す。
冷却期間を置いて、改めて話し合いの場を設けさせる。
そんなところか。
「大人達の談合は」
「それが終えたので、徳川殿を呼ぼうとしたところに、その届けが」
与太郎は側仕えの一人に命じた。
「これより大広間に向かう。
誰か、母上にもそう伝えよ。
・・・。
片桐、お主は大広間の者達に伝えよ。
これより私が向かうとな」
与太郎淀ママ一行が大広間に近付いた。
荒れているのが分かった。
反徳川派が不在の徳川殿を罵っていた。
対して徳川殿を庇う声が聞こえない。
淀ママが与太郎に尋ねた。
「秀頼、一体どうするのです」
「大人達の意見を聞いてからです」
「談合に従うのですか」
「当主なのですから、大人衆に従う従わないはないでしょう。
皆の声に耳を傾け、それから当主が判断するのです」
上座に腰を下ろし、御簾を上げさせた。
一同を見回し、前田利家に尋ねた。
「事情を聞かせよ」
「我等の話し合いが済んだので、
徳川殿の元に家臣を向かわせたところ、
俄かな腹痛により既に下城したとのことでした」
「であるか、なら見舞いの者を走らせねばならぬな」
与太郎は片桐を振り向いた。
「直ちに心利いた者を見舞いに走らせよ。
そうだ、上番医を同道させるのを忘れるな」
人選する為に片桐はそそくさと退出した。
それを見送った与太郎は改めて一同を見回した。
「皆に根が生えぬうちに片付けよう。
ついては利家殿、聞かせてくれるか」
前段が受けた模様。
あちこちで漏れる笑い。
めっちゃ嬉しい。
利家は素知らぬ顔。
「徳川殿が居られぬのに宜しいのですか」
「徳川殿の都合に合わせる理由がない。
それに、俄かな腹痛と見舞いは私事、御掟破りついては公事。
公私の区別は付けようではないか。
・・・。
では、聞かせてくれるか」
四大老三中老五奉行が姿勢を正した。
居合わせた面々もそれに倣った。
利家が言上した。
「まず一つ、徳川殿を大老職から罷免します」
「それだけではないと」
「御掟を破ったのです。
それ相応の処置を行います。
二つ、許しが有るまで大坂屋敷にて謹慎のこと。
三つ、相模と伊豆の領地を取り上げること。
この三つです」
随分と思い切ったものだ。
肚を括った、と感心した。
与太郎は表情には表さない。
大広間を見回してから重々しく問う。
「これに異論のある者は」
しわぶきの一つも聞こえない。
与太郎は無表情のまま、告げた。
「これにて一件落着とする」
示し合わせた訳ではなかろうが、皆が一斉に平伏した。
「「「ははー」」」
与太郎は利家を見た。
「前田利家、ご苦労であった。
これにて大老の職を解く。
そして嫡男、利長に大老の職を継がせる。
利家、利長、双方ともよいな」
利家は不満そうな色。
死ぬまで秀頼の傅役でありたいのだろう。
しかし立場上、何も言わない。
口を閉ざして頭を下げた。
空気を読まないのは前田利長。
破顔で、膝すりすり前に進み出た。
「拝命、有り難くお受け致します」
与太郎は長岡藤孝を探した。
いた。
こちらを見ていたので視線が合った。
「長岡藤孝殿、これに」
招き寄せた。
利家の隣まで来た。
利家より高齢だが、肌艶がやけに良い。
これも早期隠居したせいだろう。
「上様、ご用は」
「蘇を知っているか、あるいは醍醐」
「そ、だいご・・・、はて」
「かつて典薬寮が担っていた物だ。
牛の乳で作った物で、醍醐とも呼ばれていたそうだ」