(島津騒動)11
佐多宗次が諫めると島津義久は嬉しそうな顔をした。
「宗次よ、儂を諫めてくれるか。
良き家来を持ったな。
・・・。
島津は伊集院と太い絆で結ばれる。
普通であれば誰もがそう思う。
しかし、伊集院忠棟がなあ。
・・・。
忠棟は武も文も申し分ない仕事をしてくれた。
得難い奴だった」
「でしたら」
「忠棟の目は常に上と外に向けられていた。
薩摩島津、豊臣、そして公儀の面々。
筆頭家老であれば、それだけではなかろう。
当主の代わりに下も見るものだ。
下を乱れなく一つに取り纏める。
国人衆や地侍共だ。
どちらかと言うと、下を取り纏めて欲しかったな。
外の事は、出来る奴を引き上げて耳目とし、
小難しい事は義弘や豊久に任せても良かった。
・・・。
その下の者達から伊集院を批判する声が出るようになった。
それが日増しに大きくなって来た。
ここ最近は重臣の者も口にするようになった。
お主もその辺りは気付いていた、そうではないか」
宗次も忠棟が批判されている事は耳にしていた。
当初は軽輩や外様者が多く、さして気にも留めなかった。
一呼吸入れて頭を下げた。
「言葉もありません」
「よいよい、政は正しい正しくないではない。
塩梅なのだ。
どちらに傾くかは誰も知らん。
その辺りはお主も分っているだろう」
「はい、すると大殿は決断なされたのですな」
「取り潰すしかなかろう。
忠棟一人で終わらすつもりはない。
禍根を絶つため、伊集院家そのものを処断する」
「義弘様には」
「直ぐに文を出すが、返事は求めぬ」
語り終えた宗次は宗成の見遣った。
酒のせいか、顔色が赤みを帯びていた。
宗次と視線が絡むと軽く逸らした。
何か思うところがあるのだろう。
虐めるように尋ねた。
「言いたい事があれば吐き出せ。
貯め込むと腹が腐るぞ」
宗成は酒を飲み干して、空になった湯飲みを床に置いた。
「ふう、わかりますか」
「何年の付き合いだと思う」
「ですな。
・・・。
父上、大殿がその程度で取り潰されるとは思えません」
「ほう、それは」
「何がしかの口外できぬ理由があるのでしょう」
宗次は興味を持った。
確かに、その程度の理由だ。
伊集院家が島津家に尽くした功績は多大。
それらを打ち消して族滅するには弱すぎる。
と、なると・・・。
宗次は宗成を見直した。
これまでは好きにやらせていた。
上方気質と計算高さには目を瞑った。
交友範囲にも口を出さなかった。
何事も学び、そう思ってのこと。
すると驚いた事に豊臣家の官吏達とも親しくなっていた。
蔵入地の官吏の寮の酒宴に招かれる事も度々。
そこで何やら仕入れたのか。
「口外できぬと申すか」
宗成は思案している様子。
宗次は覚悟を決めた。
「他には漏らさぬ。
お前の言葉がこの部屋から出る事はない」
宗成は頷いた。
「分りました、これには先例があります。
昔の話です。
源頼朝様とそのご舎弟、義経様、その仲違いの末のあれです」
それで宗成は口を閉じた。
後は察しろ、の色。
頼朝と義経の仲違い。
平家討伐を成し遂げた義経だが、兄の頼朝には嫌われた。
嫌われた理由には諸説あった。
この島津家は源平合戦の頃よりのお家なので、
その辺りの事情は口伝で伝えられていた。
中でも最も真実味があるのが、
義経が頼朝の許可なく、朝廷よりの任官を受領した事にあり、
との伝承。
確かに。
義経の真意はどうあれ、傍目には義経は頼朝の家来なのだ。
家来が頼朝の許可なく受領するのは筋違い。
何であれ、頼朝の面子を潰した事になる。
伊集院忠棟は太閤殿下からの朱印により、
都城八万石を与えられた。
島津家でその経緯に詳しいのは大殿、義弘様、忠棟殿のお三方。
しかし誰一人として詳細を語ろうとしなかった。
漏れ聞こえたのは、取り繕った上辺の言葉だけ。
宗次は不審に思ったが、聞くのが躊躇われた。
剣呑な雰囲気が感じ取れたからだ。
あれから五年ほど。
太閤殿下がご逝去された。
徳川殿は大老を解任された。
公儀はその徳川家への対応に苦慮していて、
有効な手が全く打てていない。
為に、西へ向ける視線が緩いように見受けられた。
大殿はその様子から、伊集院家討伐を決意されたのだろう。
宗次は深く理解した。
しかし、言葉にはしない。
黙って宗成に酒を勧めた。
「朝まで飲むか」
「よいのですか」
「ここは奥の目がない。
なんの心配もないだろう」
「ですな、それでは」




