(島津騒動)6
徳川家康の生存している実子は八名。
うち男子は五名。
その中で徳川姓は許されているのは秀忠のみ。
残り四名は違う姓を名乗っていた。
結城秀康、松平忠吉、武田信吉、松平忠輝。
忍びが報告した。
「秀忠殿は徳川家を相続する事が約束されているせいか、
沈黙を貫かれています。
その様子を見て、重臣共も公の席では何も申しません」
そうだった。
太閤殿下が生前に、秀忠の徳川家相続を認めていた。
これを豊臣家が公に覆すのは難しい。
与太郎は近習達に、忍びへの質問を許した。
自分一人では見落としがあるかも知れぬ、そう危惧したからだ。
すると早速、一人が尋ねた。
「公の席ではそうだろう。
しかし、仲間内では違うのではないか」
「はい、仰る通りです。
新規に雇用された者共は忠誠心の向け所が違うので、
陰で好き勝手な事を申しております。
このままでは秀忠様は大老になれない、とか。
家康様を追放した者が徳川家を継ぎ、大老になれる、とか」
兄弟で相争うのが望ましいが、期待はしていない。
それでも、せめて家来同士の刃傷沙汰は起きて欲しい。
そうなれば、そこから付け込める。
質疑を耳にしながら、与太郎は家康を心配した。
臥せているのは、これまでの心労が原因だろう。
心労で死ぬとは思えぬが、年齢を考慮すると、無いとも言えない。
しかし、このまま死んでもらっては困る。
豊臣家が困る、豊臣家が。
欲しいのは相模と伊豆だけではない。
もう少し色を付けたい。
武蔵、上野、下野をも取り上げ、上総と下総に押し込めたい。
為には、家康健在が絶対条件となる。
☆
徳川家康が床払いをした。
それでも直ぐには自由に歩き回れない。
一ㇳ月近く臥せていたせいで、足腰が弱っていた。
近習の手を借りて庭園の四阿へ向かった。
途中、幾度か休憩を入れた。
家康は側近の本多正信にぼやいた。
「これも齢かな」
「仕方ありませんな。
誰も齢には勝てません」
四阿に着いて、中を見回してまた、ぼやいた。
「何もないな」
薬研もなければ、乳鉢も乳棒もない。
肝心要の薬草もない。
大好きな調合が出来ない。
聞いた正信は素知らぬ顔で、近習に指示してお茶を淹れさせた。
家康はそのお茶を飲み、またも、ぼやいた。
「ただのお茶だな」
「ええ、お茶です」
正信が、家康がお茶を飲み干したのを待ってから言う。
「医師の言い付けです。
暫く、調合は元より、房事も控えて頂きます」
家康の眉間に皺が深く線が走った。
早い話、仕事をするなと。
調合は薬づくり、房事は子づくり。
今の家康にとっては必要不可欠な仕事。
茶碗を近習に渡し、池の鯉に目をくれた。
「鯉は好き勝手に泳いでおる。
なんとも羨ましい限りだな」
「そうでしょうか。
狭い池ですよ、それで満足しておるとでも」
「元より外の広い川とか、湖を知らぬのだ。
知らぬままなら、何の不満も出ないだろう」
家康の何度目かのぼやき。
「臥せていて、ろくに食ってないが、それほど腹は減らぬな」
正信がしれっと返した。
「お腹が空かぬのは、代わりに齢を食ってるからでしょう」
堪え切れぬのか、幾人かの近習が笑いを漏らした。
その者達を見ながら、家康が言う。
「臥せていて、外の様子が分らぬ。
何か面白い話はないか」
笑いを堪えていた近習が口を開いた。
「お耳汚しになるかも知れませんが、一つございます」
正信がその近習をチラ見、何やら口ごもるが言葉にはしない。
家康は近習を促した。
「せっかくだ、耳を汚してくれるか」
「実を申しますと、これまでも何回か流れた噂です」
「ほう、それは」
「秀頼様の出生についてです」
過去何回か町を騒がせた噂だ。
お淀の方様が子を為して、その噂が生まれた。
お猿殿下はお種なし、そんな男に子が為せるのか、と。
太閤殿下の女漁りはつとに有名で、大いに顰蹙を買っていた。
周囲の者達は事情を知っていたので、誰も諫言しなかった。
生来の女好きは別にして、喫緊の問題があったからだ。
後継者・・・。
ところが女達は一人として子を為さない。
そこから皆が認識した、太閤殿下はお種なし、と。
家康は正信を見た。
「当家の関与は」
「ございません」言い切った。
種なし云々ではない。
深く追求しても徳川家に旨味がないのだ。
何故なら、お淀の方様は歴とした織田家の血筋。
彼女の子も、太閤殿下の子でなくても、織田家の血筋。
周囲に邪険にされる事はなかった。
豊臣政権を支えているのは織田家の直臣や陪臣であった者達。
その者達が噂に騒ぐ事はなかった。
太閤殿下に簒奪された物が旧に復するだけなのだ。
生前の太閤殿下が、我が子と認めた、のも幸いした。
噂を完全に無視した。
その陰では犯人探しが徹底された。
そうそう、種付けた者を探す者もいないだろう。
読んだのか、何気なさそうに正信が付け加えた。
「陪臣の一人が行方不明になっています」
お淀の方様の、局の実家の家来だそうだ。
人知れず拉致されて埋められたのだろう。




