(島津騒動)5
甲斐姫の憎しみは伊達家に向けられていた。
悪し様な言葉は吐かないが、それがひしひしと伝わって来た。
与太郎は答えに窮した。
甲斐姫を避けて忍びに尋ねた。
「煽られた者達の様子は」
「一様に困っています。
と申しますのは、前の一揆討伐で、一揆の内情を知る者達が、
伊達家によって一人残らず殺害されたのです。
その為に一揆の首謀者が分らずじまいです。
現地では、死人に口なし、そう伝えられています」
なるほど、
誰もが、伊達家こそが一揆の主犯ではないか、と疑っているのか。
敢えて尋ねた。
「それでも踊らされる奴がいるのか」
忍びは困ったように答えた。
「ええ、小数ですがおります。
痩せても枯れても旧家なのでその動員力は侮れません」
学ばない奴はどこにでもいるのだなあ。
真実を見ない、聞かない。
自分の信じるものしか見ない、聞かない。
目も耳も不要な奴。
一言で言えば、ただのアホ。
そういう人間は過去現在未来を通じて事欠かぬ、・・・か。
まるで人類にかけられた呪いだな。
甲斐姫が落ち着いた声で与太郎に願う。
「伊達家の一件、私にお任せ下さいませんか」
深く頭を下げた。
上げる気配がない。
与太郎は困った。
任せて良いのか・・・。
来栖田吾作が仲介に入った。
「甲斐姫様、何かお考えが」
それでようやく頭を上げた。
「短い間でしたが、蒲生家の縁で当地におりました。
それで多少の伝手ができました。
その伝手を頼りに、伊達家に仕掛けます」
「何を仕掛けると」
「面白きことを」
言葉を濁された。
まあ、良いか、甲斐姫だし。
聞かずに任せてみるのも一興。
それに、東北は上杉家が目を光らせている。
不測の事態が起こっても難無く収めてくれるだろう。
与太郎は伊達家は甲斐姫に任せて、最後の議に入った。
徳川家康並びに徳川家、その現況だ。
田吾作に促された忍びが膝スリスリ、前に進み出た。
分厚い報告書を近習に差し出した。
「大坂屋敷の家康殿は当初は病を装っていました。
ところが、それがどうやら本物になったようなのです。
このところ奥にて臥せています。
面会できる者は限られています」
忍びが、限られた者の名前を上げて行く。
重臣でも、長らく苦楽を共にした数名に、薬師と豪商。
それにしても大坂屋敷の実情にやけに詳しいではないか。
「内応する者を得たのか」
「下働きの者、合わせて五名」
ほほう。
どんなに警戒が厳重な屋敷でも、下働きは欠かせない。
彼等なくして屋敷は機能しない。
そんな彼等の耳目は常に働いていた。
怠って誤れば首が飛ぶからだ。
彼等が見聞きした事柄を、欠片と欠片を繋ぎ合わせれば、
一つの貴重な情報を形作るのだ。
報告書を受け取った与太郎にその忍びが付け加えた。
「当家の奥の皆様が関東へ送られた文が利いています」
ああ、あれか。
女子会のお茶席で毒を垂らした。
甲斐の武田信玄が、実父を追放してお家を掌握した事実。
それとなく・・・、広めて欲しくて口にしたのが、
女子会の噂ネットワーク、文の遣り取りで拡散したらしい。
いやいや、凄いわ、ありがとう。
不安定な身分の下働きがそれなら、忍びも同等のはず。
対して、豊臣忍軍には給金を弾むだけでなく、
望めば給地も与えた。
秀パパにとって忍びは陪臣扱いだったが、
それでも身分は安定させた。
与太郎は素直に言葉を吐いた。
「徳川方の忍びを買い取れないか」
率直な物言いに皆が固まった。
驚いた事に最初にキムが声を上げた。
子供らしい笑い声。
「はっはっは、珍しいものを買いますね」
ありがとうキム、場が和んだ。
田吾作が言う。
「ものは試しです、まず試させましょう。
約束は給金でも給地でも宜しいですね」
当家の倉は金銀が腐るほど積み上げられていた。
公儀や奥の金遣いが荒いのだが、なかなか減らない。
領地の空きにも目処があった。
開拓しようにも人手が足りないのだ。
委細は田吾作に任せた。
必殺、丸投げ。
本題に戻った。
「それでも大坂屋敷では、家康殿の権威は揺らがないのだな」
「はい、上と中の者達は家康殿を信奉しています。
苦楽が長かったせいで絆も太くなったようです。
下の者がどう思おうが、微動だにしません」
だよな。
流石は歴戦の徳川家康公。
自分の考えが甘かったのか、そう与太郎は思った。
思ったが、顔には出さない。
「ところで関東の様子は」
主戦場は、大坂屋敷ではなく関東なのだ。
一見して、忍びの顔に変わりはないが、色が違った感がした。
「子沢山を誇っていた家康殿ですが、それが弱点になりました。
表向きは静まっていますが、裏では様々な動きがあります。
それぞれに付けられた傅役が、それぞれの思惑で持って、
勝手に動き回っています」
それもこれも家康が関東を留守にしているからだ。




