(島津騒動)2
伊集院家の未亡人は精力的に動いた。
これまでの誼で面会に応じてくれたお歴々には、その情に訴えた。
奥の方への手土産も欠かさない。
夫を誅殺されたばかりというのに、温和な語りと気配り。
未亡人を招いた家々から悪評が流れる事はなかった。
対する島津家は、木で鼻をくくった対応に終始した。
不始末を起こした家来を当主が成敗しただけ、それのどこが悪い。
当主の権利を主張し、他に話すことはないとばかりに打ち切った。
理解して貰おうとか、同情に訴えようとか、
そんな思惑は微塵も窺えなかった。
鄙な極南の地を長らく治めた気質か、
口より弓馬で語り合う地金が見え隠れした。
もっとも、肝心要の三人が不在なので、埒が明かない。
島津家当主の島津忠恒は京都にて謹慎中。
先代当主の島津義久は領地滞在中。
伊集院の嫡男、忠真も領地滞在中。
豊臣家の大人達は困惑しながらも早期解決すべく動いた。
御用船を仕立て、召喚状を送り付けた。
伊集院忠真の場合は生命の危機があるので、
隣接する伊東氏を介しての上洛の運びとした。
与太郎は執務室で、政務の流れを学んでいた。
幸い、計算能力が高いのである程度は理解できた。
全ての根底に財務があり、その保証がなければ何事も成し得ない。
理解できないのは、そこへ人間関係が加味される事だ。
氏族とか、社寺とか、土倉とかが面倒臭い。
与太郎の疑問が顔に出たのだろう。
本日の指南役、大谷吉継の視線が向けられた。
彼は一言も口にしないが、言わんとする事はわかった。
そこで与太郎は正直に口にした。
「吉継殿、ようく分りました。
記載された文言だけでなく、紙背をも見通せ、ですよね」
「ええ、誰もが上をたばかろうとしますからね。
例えば、最初の一人目が一貫匁を抜く、とします。
さて、それに気付いた二人目がどうするか。
一人目に注意する、それとも上に訴える。
・・・。
答えは、愚直な者はいざ知らず、諍いを避けて真似をするです。
彼も一貫匁を抜きます。
書類の回る先々で抜かれ、上様のお手元に届くころには、
さて、どのくらい抜かれているか、お分かりですか」
与太郎は正直に両手を上げた。
白頭巾の奥の吉継の瞳を見詰めた。
「吉継殿、これまでは適材適所が正しいと思っていた。
各人の才能を活かせば、何の問題も起きない、そう、今までは。
しかし、実際は画餅なのだな」
「本当に聡いですな上様。
適材適所の運用に関しては、また別の機会に。
まずは人について学びましょうか」
「相分かった、宜しく頼む」
「上様、人は穢れ易い生き物なのです。
そこから始めましょうかな」
吉継、六才児に何てことを吹き込むつもりや。
オイラの学びは、真っ先に四書五経の素読から始まった。
読み書き、足し算引き算はその後付けやった。
お陰で頭はパンパンや。
それでも今は夢と希望を与えんかい。
甘甘や、これ大事。
人の真実を教えてどないすんのや。
絶望してまうやろが。
甲斐姫からの助け船。
「大谷殿、この辺りでお茶にしませんか」
ありがとう、甲斐姉さん。
絶望の淵に立たされんで済んだわ。
上番の近習も空気を読んだ。
手早く、お茶を淹れてくれた。
あっ、こいつも出来る奴だ。
今日のお茶のお供は、大坂の町衆から献上された逸品。
近習が説明した。
「小豆が良い仕事をしてます」
お前は何様や、本業はなんや。
与太郎は突っ込みたいのを飲み込んで、曖昧に笑みを返した。
「それでは町衆のお味、頂きますか」
甲斐姫が湯飲みを置いて、吉継殿に尋ねた。
「大谷殿、太閤殿下の島津征伐に付いて詳しいですか。
もし、詳しいのでしたら、幾つかお尋ねしたいのですが」
その手の話は吉継も大好物らしい。
乗って来た。
「某はご存知のように、太閤殿下の膝下で長く働いておりました。
分かる事でしたら何なりと」
「当時の書類を調べたところ、島津家処分に違和感を覚えました。
何やら手緩いのです。
太閤殿下らしくなかったのです。
島津家に対して配慮、否、遠慮があったのですか。
その辺りの事情をお聞かせ下さい」
白頭巾なので確とはしないが、吉継は機嫌が良いらしい。
肩が微かに揺れていた。
「ただ単に、上方を長く留守に出来なかったからです」
「もしかして徳川殿ですか」
「そうです、徳川殿、次いで小田原、東北。
それがあり、島津家が降伏するや、太閤殿下の心は、
上方へ上方へと逸りました」
甲斐姫は考えた末に一つの結論に達した。
「太閤殿下は陪臣の身分の者にも御朱印を出されております。
ただ、その時々で意味合いが違うように感じ取れました。
伊集院家への御朱印の場合は、
明らかに島津家へ対する一つの毒ですわよね」
途端、吉継が弾けたように笑った。
一頻り笑った後、お茶で咽喉を潤した。
そして言う。
「甲斐姫様、当時は私や同僚達もそう思い、
太閤殿下にお尋ねしました。
ところが何も教えて頂きませんでした。
・・・。
返って来たのは、もう一つ読めない笑みだけでした。
・・・。
たぶんですが、太閤殿下が生きておられたら、
島津家が伊集院殿を誅殺したと聞かれた瞬間、素直に喜ばれ、
第二次島津征伐をお決めになられたでしょう。
・・・。
上様、今の最後の話、聞かなかった事にしてくだされ」
そうか。
伊集院家へ朱印を賜ったのには別の意味も込められていたのか。
えげつないな、秀パパ。
秀パパは伊集院がお気に入りだとばかり思っていた。
ところが、その笑顔の裏には悪魔が潜んでいた。
島津家を追い落とす策が。




