(島津騒動)1
馬場の一角に陣幕が張られていた。
その入り口に甲斐姫が馬を寄せた。
与太郎は小姓達の手を借りて馬から降りた。
馬上で長く抱えられていたので、地に足を着けた瞬間、フラフラ。
それを小姓達が支えてくれた。
後から降りた甲斐姫が片桐且元に言う。
「詳しくは中で伺いましょう」
陣幕内でも人払いが徹底された。
与太郎、片桐且元の他は、甲斐姫と来栖治久のみ。
与太郎と且元が床几に腰を下ろした。
甲斐姫と治久は護衛として、与太郎の背後に控えた。
「且元殿、何事だ」
且元は視線を与太郎に合わせた。
「島津家よりの使者が参りました。
伏見の島津大坂屋敷で、家老、伊集院忠棟を討ったそうです」
それがどうした。
家中の争いだろう、違うのか。
与太郎は疑問を飲み込んだ。
黙って甲斐姫に視線をくれた。
甲斐姫が代わって且元に尋ねた。
「且元殿、ただの家中の刃傷沙汰でしょう」
この一件、今朝、取り次ぎ役方の所に届けられたばかり。
誅殺に驚いた役方の者が規定に従って奉行衆へ上げた。
同時に、これはと思い、内密に片桐且元の手元へも上げたられた。
且元の説明で、只事ではないのが判明した。
討たれた伊集院忠棟は島津家の筆頭家老にして、
太閤殿下よりの朱印により都城八万石を与えられた人物。
これを討ったのが島津忠恒。
島津の家督を継いだばかりの若き当主。
家臣を手討ちにするのは当主としては正道であったが、
討たれた伊集院が太閤殿下から朱印を与えられていたので、
事態が複雑になった。
当主と家老との間で何が起きた・・・。
当主が暴君なのか、家老に何らかの落ち度か。
討つほどの落ち度とは・・・。
秀パパが亡くなったから忠恒は安心して誅したのか。
それとも、ただの偶発的な出来事なのか。
疑問が尽きない。
与太郎は頭を捻った。
関ケ原は教科書に載るほどなので、常識として知っていた。
その前年となると、虫食いだらけの知識しか持ち合わせていない。
ただ、不随した様々な争いがあったのは事実。
これもその一つ・・・なのか。
再び甲斐姫が且元に尋ねた。
「伊集院殿は島津家躍進に尽くした功臣でしたわよね」
「ええそうです。
薩摩大隅の統一、伊東氏、大友氏、龍造寺氏それぞれとの戦い、
その殆どに従軍しています。
太閤殿下の島津征伐の折には、島津家の生き残りに奔走され、
交渉の為に自ら人質となられた方です」
与太郎は慎重に口にした。
「私の手元に来る案件だな」
「はい、それでこうしてお知らせに参りました。
横槍が入る前に、とば口のお知らせに」
「横槍とは、妙な事を言う」
「はい、某も苦々しく思っています。
あの島津ですから、内裏から手を回すかも知れません。
それでこうしてご報告に参ったのです」
「内裏から」
「島津家は古くから近衛家の荘園を預かっておりました。
その関係で今も昵懇なのです」
「近衛家か、なる程な。
今回も奥へ嘆願とか釈明が舞い込むのか、回り回って迷惑だな」
奥へ届けられた御掟破りの嘆願釈明の、文の山を思い起こした。
それの精査が済んだばかり、そこへコレ、か。
困っていると甲斐姫から助け船。
「上様、奥へは私が参ります。
けっして騒ぎ立てぬように、そう皆様方に根回しいたします」
これに且元の表情が崩れた。
「甲斐姫殿、上様のご身辺が少々騒がしくなるかも知れません。
宜しくお頼み申しますぞ」
それにしても、と与太郎は疑問が湧いた。
「太閤殿下は近衛家の猶子であったはず、違うか」
且元が嬉しそうに頷いた。
「ええ、確かに猶子でした」
「そういう関係なのに、太閤殿下は島津征伐を為されたのか」
且元が優しい眼差しで与太郎に頭を下げた。
「太閤殿下は仲介者を入れ、島津家と幾度も交渉を行われました。
ですが、全く折り合えませんでした。
互いの面子が邪魔をしたのです。
・・・。
こちらも向こうも大勢の家来を持つ身ですので、
その家来の手前、簡単には引き下がれないのです。
結局、刀槍で語る事になりました」
島津の動きは早かった。
伯父、島津義久より譲られて島津家当主になった島津忠恒を、
実父、島津義弘が謹慎させる一方、事件の鎮静化に奔走した。
大老中老奉行の大人衆の元を訪れ、必死に弁明した。
「お騒がせして申し訳ございません。
実に嘆かわしい事なのですが、当家の恥を申し上げます。
筆頭家老、伊集院忠棟は奸物でありました。
密かに、島津家を我が物にせんとしておったのです。
当主交代の時期にそれが露見いたしました。
そこで新たな当主となった島津忠恒が成敗したのです」
伊集院忠棟の遺族は島津家の襲撃を恐れ、
大坂の伊集院家屋敷に立て籠もった。
しかし、泣き寝入りはしない。
嫡男が領地にいるので、未亡人が中心となり、伝手を頼りに、
豊臣家の大人衆への直訴に及んだ。
「伊集院忠棟は島津家の忠臣であります。
へこの頃より島津家の為に粉骨砕身、励んで参りました。
その働き抜群により、太閤殿下より朱印も頂きました。
恥じる行為は一切ございません」
未亡人の御朱印衆に目を付けた。
伊集院忠棟と同様に、太閤殿下の朱印により領地を賜った者達だ。
彼等は両属の立場にあった。
大名の家臣でありながら、豊臣にも属していた。
仕える大名と豊臣家を繋ぐ役目を負っていた。
所謂、取り次ぎ役方。
仕事柄、皆、大坂に屋敷を構えていた。
為に他の家臣達からは羨望と嫉妬が入り混じった、
実に複雑に視線を向けられた。
多くの御朱印衆は立場が微妙だった。
仕える大名の全幅の信頼があれば問題ないのだが、
常に妬み悪評増悪がついて回った。
そうなると大名も流される。
疑惑の目を向けられる事もしばしば。
誰もが不安を抱えるようになった。
伊集院忠棟の件は、明日は我が身かも知れない。
何かの切っ掛け一つで我が身に降り掛かるかも知れない、
戦々恐々としていた。




