(与太郎と鶏舎と牛舎)3
長岡藤孝が成し遂げてくれた。
それは武でもなければ、文でもない。
所謂、食・・・。
なので誉め言葉に困るが、秀パパの真似をする事にした。
「藤孝殿、天晴である。
これへ参られよ」
途端に皆が静まった。
全ての視線がこちらに向けられた。
そんな中、藤孝は冷静な表情で足早に寄って来た。
目の前で膝を着いた。
「上様、参りました」
「正式な褒美は後で取らせる。
今はこれで許してくれ」
小姓に預けていた脇差を受け取り、差し出した。
銘は国光。
来歴も明らか。
信長様から秀パパに褒美として与えられた逸品。
だからこそ与えた。
藤孝は素直に喜んでくれた。
「有難うございます。
これは当家の家宝と致します」
そう喜んでくれると与えた方も嬉しい。
ついでに聞いてみた。
「正式な褒美は別にして、藤孝殿、何か望みはないか」
ちょっと考え、口を開いた。
「その前にお伺いします。
この醍醐、内裏には如何いたします」
かつては『貢蘇の儀』というものがあり、
蘇や醍醐を内裏に納めていた。
そうなるとこれは五奉行の案件だ。
なかでも、京都所司代は元より内裏にも詳しいのは前田玄以だ。
与太郎は玄以を探した。
見つけた。
その視線に玄以が応じた。
「某ですか」
両手を着いて与太郎を見た。
与太郎は率直に言う。
「玄以殿、面を上げてくれ。
・・・。
貢蘇の儀はどうなってる」
玄以が姿勢を正した。
「はい、それでは。
・・・。
貢蘇の儀は、残念な事に久しく絶えております」
「戦が原因か」
「はい、長らく下剋上で牛が少なくなりました」
確かに。
「どう思う」
「某は、強くはお勧めしません」
「その訳は」
「堂上家や地下家の者がどれほど関わっているか知りませんが、
彼の者等の仕事を奪う事になります」
それも確かに。
豊臣家は、と言うか、秀パパの方針で内裏の職分に、
武家方をズカズカと踏み込ませた。
そろそろ止め時だろう。
秀パパは成り上がりで、権力はあったが、権威がなかった。
それで内裏を後ろ盾とした。
しかし、与太郎は借り物の権威は必要とはしない。
何しろ太閤殿下の血筋。
先々代が農民でも、先代は歴とした太閤殿下。
それは覆しようがない事実。
お陰で、権力に加えて権威も併せ持っていた。
与太郎は藤孝を見遣った。
「玄以殿と相諮ってくれるか」
「某で」
「藤孝殿だからだ。
玄以殿と二人、宜しく頼む」
藤孝と玄以が揃って低頭した。
それが終わるのを待っていたかのように声が上がった。
「上様、宜しいですか」
石田三成だ。
両手を着いて面を中途半端にしていた。
藤孝の望みをまだ聞いていないのだが、せっかちな奴だ。
和を以て貴しとなす、和を以て貴しとなす、と胸の内で繰り返し、
与太郎は藤孝に軽く頷き、三成を見遣った。
「聞こう」
「徳川家征伐はまだでしょうか」
いきなりかい。
飛ばし過ぎやろ。
同席の利家を見返した。
すると彼は笑みを浮かべるのみ。
死地を求める者に助けを求めたのが間違いだった。
与太郎は次に毛利輝元を見た。
彼も好戦的な目色。
上杉景勝へ目を転じた。
こちらもだ。
家康が嫌われているのか、それとも戦後の褒賞が目当てか。
たぶん、両方だな。
実に拙い。
徳川家征伐の戦功で毛利家上杉家の領地を増やせば、
今は良いが、二年後三年後以降が分からない。
分からないのはその去就。
普通に考えればその二家は百五十万石以上に肥え太る。
血縁地縁の大名を加えれば二百万石を超える。
故に、第二第三の家康にならない、とは断言できない。
明治維新は薩摩と長州の両輪で成った。
幕末期の薩長の石高は合わせて二百万石ほど。
それが求心力となり、他家を次々に巻き込んだ。
だから、おいそれとは徳川家征伐は出来ない。
徳川家を潰すだけでは駄目なのだ。
同時に毛利家上杉家への対処も必要になる。
ついでに島津家も。
与太郎は本心を隠し、皆を見回した。
「皆の忌憚のない意見を聞かせてくれ」