(与太郎と鶏舎と牛舎)1
佐々木小次郎の案内で外へ出た。
来栖田吾作が受け持つ一角へ向かった。
近付くに従い鶏や牛の鳴き声が大きくなって来た。
遠目に鶏舎、牛舎が並び、牧草地が広がっているのが見えた。
城なのに・・・。
風が鶏糞、牛糞の臭いを運んで来た。
隣に並ぶ案内の小次郎が与太郎を振り向いた。
「上様、この臭いに慣れたご様子ですね」
「ああ、慣れは怖いな。
しかし、これも美味い物の為だ」
付き従う小姓組の中の何人かが鼻を摘まんでいた。
何故か付いて来た伊東一刀斎、新免無二斎の二人は平気な顔。
思わず与太郎は二人に尋ねた。
「一刀斎、無二斎、二人はこの臭いは平気なのか」
無二斎から即座に返って来た。
「何の何の、これ程度。
心頭滅却すれば花畑のなか、極楽極楽」
一刀斎が無二斎を呆れ顔で見た。
「また訳が分からん事を」
無二斎が言い返した。
「東夷のお方には分って貰えぬか、残念地獄」
小次郎がそんな二人に言う。
「お二人は仲が宜しいですな。
大方、前世は御兄弟でしょう、お羨ましい」
無二斎が小次郎に言う。
「お主が一番下の弟だな」
この三人は何時もこの調子。
手前に建てられた作業小屋の前で田吾作が待っていた。
深々と与太郎に頭を下げた。
「上様、ここまでのお運びありがとうございます」
「何の何の、これも仕事の一つ」
小屋の中から長岡藤孝が出て来た。
「これは失礼しました。
お待たせしましたかな」
「気にするな。
作業中だったのだろう。
それで今日の塩梅は」
「口に入れても問題ありません。
予想外の人数ですが、何とか数は揃えました」
要するに、食べられると。
砂糖を大量に提供した成果だな。
「ここからは某がご案内致します」
田吾作が近くの、別の場所へ案内した。
鶏糞と牛糞の臭いから遠ざかった。
遠目に赤い日傘が見えた。
数にして十本ほど。
辺りに顔馴染みの近習達の顔が沢山あった。
警護の任に就いていた。
庭園の奥に緋毛氈が敷かれた縁台、床几が並べられていた。
大人達が立ち上がって与太郎を出迎えた。
大老中老奉行とその与力衆が顔を揃えていた。
その一番前にいるのは、隠居した前田利家。
深く腰を折った。
「上様、本日はお招き有難うございます」
隠居する前に比べると顔色が、微かにだが改善していた。
休養の効果があったのだろう。
利家だけを招いたのだが、他の大人達が喰い付いて来た。
「「「狡いではないか」」」
「「「我等も毒見をしたい」」」
これに田吾作や藤孝が困って与太郎に泣き付いた。
結果、この様な形になった。
大老の毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、前田利長。
中老の生駒親正、堀尾吉晴、中村一氏。
奉行の浅野長政、石田三成、増田長盛、長束正家、前田玄以。
三役の与力衆のうち手空きの者達、七名もいた。
しかし、暇な人が多いなあ。
これで国はいけるの。
ほんまに。
利家に奥まった所に席に案内された。
どうやら二人だけらしい。
早速全員にお茶が配られた。
正式な野点ではないが、その趣きがあった。
仕切りは田吾作。
流れるように捌いて行く。
「まずは、お茶の後も飲み物ですが、楽しんで下さい」
卵スープ。
与太郎が口で説明したものを、立派な一点ものに仕上げていた。
澄んだ出汁の上に浮かぶ溶き卵と薬味の緑。
沈んでいるのは小さな切り身魚。
うっ、美味い。
鯛と昆布が良い仕事してる。
はて、これが皆に行き渡るのか。
朝採り卵にも限界があるだろうに。
まあ、良いか。
田吾作が巧く捌いてくれる。
丸投げこそが上役の仕事。
下を育てるのも大変やな。
利家はニコニコ顔。
食べ終えて与太郎に語り掛けた。
「上様、某は小さな頃から槍を振り回しておりました。
泥に塗れ、川で泳ぎ、喧嘩三昧の毎日。
野盗狩り、落ち武者狩りもしました。
こんな私にお声が掛かりました。
信長様でした。
信長様亡き後は太閤様。
今、気が付いたらあの当時の悪ガキ共は居なくなりました。
あいつもこいつも某一人を残して死にやがりました。
無念です。
・・・。
某は戦場で死ぬものと思い定めておりました。
ですから、ここだけの話ですが、
こうも長生きするとは思いませんでした。
夢は、弁慶の立ち往生。
もうそれも適わぬのでしょうか」
与太郎は椀の切り身魚と一緒に利家の言葉を吟味した。
応じようとして、他の耳もある事に思い至り、言葉を選んだ。
「隠居しても利長から報告があるのだろう。
一語一句違えずに」
「ええ、あれは律儀ですから」
離れた席の利長を横目で見た。
聞こえていたようで、軽く会釈された。
「聞いてどう思った。
正直に申せ」
「先鋒は某に」
「それも適わぬな。
あの者は関東に逃げずに、ここ大坂にいる」
「昔から図太い奴です。
本領発揮ですかな。
それでどうします」
「どうもしない、私はな。
私は自慢ではないが、経験が不足している。
だから大人達に頼り、委細を任せている。
ああ、利家殿、その方の出番はないぞ。
必ず畳の上で死んでくれ、それが私の願いだ」