(始まりは突然に)15
家康は笑い声を上げそうになった。
流石は忠勝に半蔵。
普段は口数が少ない二人だが、流れを読む目は確かなもの。
そう褒めてやりたいが、慌てて表情を引き締めた。
皆を見回した。
「最悪の状況に追い込まれた訳だ。
それを承知で知恵を絞ってくれ。
まず一番は、これからどう動くか、だな」
正信が家康に正対した。
「悔しいですが、今直ぐに豊臣家と戦うのは不利です。
機が熟すのを待ちましょう」
この言葉は、正信も肚を括ったのか・・・。
否、ここまでの一連の流れに誘われ、
うっかり言葉を滑らせたのだろう。
家康は肚は括ったが、時期尚早であるのは理解していた。
豊臣家は余りにも巨大なのだ。
木で表せば巨木。
ただ、付け入る隙はあった。
傍目からすると、青々と生い茂る枝葉が無数にあり、
倒木は不可能と見られていた。
太閤殿下の頃ならそれで機能していた。
有能な者達や欲深い者達を競わせていた。
が、その太閤殿下は今はいない。
為に、個々の枝葉が勝手するようになった。
他の枝葉の成長を阻害する動きを見せたのだ。
そこに家康は付け込んだ。
重臣にも説明せずにちょっかいを出した。
一度、二度、三度と。
気付いたら御掟破りに行き着いた。
単なる瀬踏みのつもりでいた。
それでも非難された場合の対策は練っていた。
一にも二にも開き直る。
大領に胡坐をかいて開き直る。
肚を括った今は、豊臣家本体より先に、
障害となる大老中老奉行等を個々に潰すと決めた。
理由は、家康の暗殺を企てた、これが一番だろう。
豊臣家が介入し辛い私戦に持ち込み、潰す。
もしくは、恫喝して隠居に追い込む。
並行して豊臣家寄りの大名衆を減らし、徳川家で囲い込む。
じんわりと進め、局面が傾いてから豊臣家に牙を剥く。
それが秀頼の一言で狂った。
だからといって、怒りのまま闇雲に動く訳には行かない。
今は、辞を低くして、機を待つべきだろう。
正信が言葉を続けた。
「罷免と謹慎は受け入れましょう。
そして相模伊豆を拒否し、交渉で時間を稼ぎます。
その間、殿には臥せたままでお願いします」
家康は正信を見返した。
「取次役は曽呂利新左衛門だぞ。
お主は白髪頭を下げに行くのか」
「何の何の、丁度宜しいではないですか。
あちら様が意趣返しで門前払いしてくれます」
言われて分かった。
確かに。
門前払いしてくれれば時を稼げる。
「時を稼いでどうする」
「関東の後背地を固めます」
関東の後背地、東北には上杉景勝がいた。
大老の一人で会津百二十万石の主。
彼の家は東北の旗頭であった。
が、それだけでない。
公言されてはいないが、徳川家の監視役。
いざとなれば東北の大名衆を糾合し、
江戸へ雪崩れ込む役目を負っていた。
当初の御掟破りの目的の一つが、後背地である東北への楔。
自分の六男と伊達家の長女の縁組がそれであった。
伊達家は東北の諸大名や国人等との地縁血縁から、
石高以上の影響力を持っていた。
家康は肚を括る前から、その力を自家に引き込むつもりでいた。
そこで正信等重臣には詳しく説明せず、縁組を執り行わせた。
それが御掟破りで日の目を見た。
家康は正信の目色に怒りを見た。
今になって腑に落ちたのだろう。
素知らぬ顔でそんな正信を見た。
「東北の事、誰に任せる」
正信も、怒りは別にして、平然と返した。
「佐竹や里見の事も有りますので江戸の秀忠様が宜しかろうと」
秀忠の周りに優秀な者達を付けて置いた。
その者達が走り回ってくれるだろう。
家康は半蔵に指示した。
「お主は甲賀組を率いて関東へ戻れ。
調略に備えろ。
関東は広いが、頼むぞ」
半蔵は理解が早い。
「豊臣の風魔と上杉の軒猿ですな。
こちらへ残すのは伊賀組だけで宜しいのですか」
「ああ、正信に預けろ」
☆
大坂城の一角、渡辺糺の槍道場。
床に上で、与太郎が狛犬の姿勢で吼えた。
ヨガの、獅子の息吹き。
伊東一刀斎が優しく言う。
「子犬ですな」
隣に並ぶ木村重成が、同じように吼えた。
一刀斎は同じように言う。
「んー、ちょっと年上の子犬ですな」
それで重成が得意そうな顔で与太郎を見返した。
このところ重成はこの調子。
何かに付けて上に立とうとした。
この野郎、と言いたいが与太郎は我慢した。
代わりに脳内で、俺は大人、俺は大人、と呟いた。
他の小姓達も吼えるが、似たようなもの。
誰一人として褒めて貰えない。
そこで一刀斎は新免無二斎を指名した。
「本物の息吹きを見せくれんか」
新免無二斎は驚きながらも素直に従った。
「まあ、上様にはお世話になっていますからな」
無二斎は狛犬の姿勢になると、与太郎に向けて吼えた。
思わず与太郎は寒気が走り、腰砕けになった。
無二斎は居合わせた者達も圧し、道場の床天井を震わせた。
一刀斎が嬉しそうに言う。
「獅子の息吹き、見事」
思わず与太郎は尋ねた。
「無二斎、人を何人斬り殺せばそこに至るんだ」
「んー、面倒臭いので百から先は数えていませんな」
一刀斎が与太郎を窘めた。
「上様、上様の刀は斬る為のものでは御座いません。
万一に備えたものです、お分かりでしょう」
与太郎が教えて貰えたのは自衛に特化したもの。
守って、守って、味方が来るのを待つ。
近習の多さからして、刀を抜く機会は巡って来ないと分っていた。
それでも夢を見た。
一騎駆け。
佐々木小次郎が道場に上がって来た。
「上様、今日はヨガですか」
そうなのだ。
与太郎がヨガに興味を示したと知るや、一刀斎が喜んだ。
某が手解き致しましょう、と。
何故か、渡辺糺の槍道場でヨガ師範になっていた。
与太郎は小次郎に尋ねた。
「用意は整ったのか」
「はい、皆様あちらでお待ちです」




