(始まりは突然に)13
一夜が明けると家康は手早く仕度した。
屋敷の者達に不安を与えたくないので密かに表門へ向かった。
通告が効いて、誰とも遭わずに済んだ。
本多正信が慌てた仕草で、詰め所から飛び出して来た。
「殿、お早いお越しで」
「歳だからな」
表門は通常は閉じら、軽輩重職関係なく、
皆が脇の通用口から出入りした。
表門が開けられるのは当主、もしくは賓客の場合のみ。
今回の様な上様からのお見舞い、
お沙汰の場合がそれに当たった。
それを門前払いにしたのだ。
覚悟の上なので後悔はない。
ただ、・・・。
家康としては御掟破りがここまで大きくなるとは思わなかった。
軽い瀬踏みで、太閤殿下の子飼い達にちょっかいを掛けた。
それに奴等は喰い付いた。
徳川の天下を思い描いたに違いない。
家康は御掟破りが問題化しても、
四大老との話し合いで落着させるつもりでいた。
徳川家の力を誇示し、脅しつける。
自信があった。
門前払いは頭の片隅にもなかった。
ところが、自分の一言で事態が混迷に傾いた。
何故だ、何故だ。
誰が何を企てているのか。
家康は無表情で詰め所に入った。
ここには通常、門を出入りする者を改める門番が詰めていた。
今、その門番は一人もいない。
見慣れた顔の近習達が門番を装っていた。
何れも好戦的な表情をしていた。
これだから三河衆は・・・。
揉め事大好きが多い。
溜息付いた。
正信が正直に言う。
「殿、万一の際は裏からお逃げ下さい。
五十騎を控えさせています。
影武者も四名」
「ほう、それで逃げれるか」
「はい、無事にお逃げになられます。
お忘れですか、伏見の兵を。
城から退去させられた当家の兵を。
全て伏見屋敷に戻っております。
それらを率いて江戸へご帰還下さい」
新たに伏見城の城代となった結城秀康がどう動くか分からない。
しかし、それは口にはしない。
皆に不安の種を与えたくない。
「話は分かった、それでお主は」
「ここにて上様のお相手を致します」
正信と共に居合わせた近習達が一斉に手を着き、頭を下げた。
家康の思惑とは関係なく、彼等も肚を括ったらしい。
家康は答える代わり、近くにいた服部半蔵に視線をくれた。
「探った様子は」
「城の兵に動きありません。
大人衆の家中にも不審な動きはありません。
密かに新たな軍勢を呼び寄せた気配もありません」
「何もなしか。
ただの危惧であったか」
「それでも万一があります」
家康は作り笑いで皆を見回した。
「上様とは一度は衝突する必要がある。
意味は分かるな」
正信が応じた。
「力を示してから話し合いに持ち込むのですな」
「ああ、それが武家の作法だ。
大人しくお沙汰に従うのは愚の骨頂、そう思わぬか」
家康が肚は括っても、肝心の、あちらの様子が分からない。
誰が主導しているのか。
それが分らねば手の打ちようがないのだが、それも口にしない。
ところが、その織田老犬斎の一行がなかなか来ない。
思わず家康は漏らした。
「くそ」
続けた。
「何をしておるのだ」
苛立ちに正信も同意した。
「手間取っておるのでしょうか」
「そんな訳あるか」
城は直ぐそこなのだ。
思わず床を叩いた。
服部の配下らしき者が入って来た。
耳元に口を寄せ、何事か報じた。
服部が表情を変えた。
家康は服部を睨んだ。
「変事か」
「いいえ、それがそのう・・・」
「はっきり言え。
見張らせていたのだろう」
「御一行様は途中で曽呂利様のお屋敷へ廻られたそうです」
「こちらに来る筈の織田老犬斎の一行か」
「はい」
曽呂利新左衛門の屋敷はこちらとは反対方向だったはず。
その意味を掴み兼ねた。
織田老犬斎の一行が現れたのは、
三度目の間食が用意された頃合い。
既に陽が傾こうとしていた。
思わず家康は顔を顰めた。
「企んだものだな」
直ぐに表情を改めた。
苛立った顔の近習達に言い聞かせた。
「これも戦だ、怠惰な門番を装え」
門前で埒の無い遣り取りが繰り広げられた。
「上様からの朱印状である。
直ちに開門されよ」
「殿は臥せられております。
取り次ぎ出来る状態では御座いません」
「これは上様からのお沙汰である。
何人も遮る事は許されぬ。
速やかに通すか、重職の者を呼ぶか、何れかにせよ」
正使の従者が強気で言い募った。
門番を装った近習はおたおたとした。
「そっ、そっ、それは、某共の役目では御座いません」
正使の一行の者達が一歩足を進めたのに対し、
門番達は一歩も退かない。
気持ちが悪い。
吐きそう。
これは、・・・妊娠ではないな。
夏本番前に冷房病か。
先取りだな。