(始まりは突然に)12
ならばと家康は、新たな書状に取り掛かった。
一通目はお初殿宛て。
浅井三姉妹の次女で、今は京極家の正室。
姉はお淀様。
自分は、自分を敵視する大老中老奉行等により、
謂れのない罪に問われようとしている。
それがまかり通ればお江殿の娘、千姫殿の輿入れに障る。
そもそもこの輿入れは亡き太閤殿下のお声掛かり。
豊臣家と徳川家の結び付きを強め、
日ノ本に平安をもたらそうとするもの。
であるので、何としても冤罪から逃れたい。
ついては姉、お淀様に取り成して頂きたい。
あざとい誘いも入れた。
亡き浅井長政の庶子が豊臣家に仕えていた。
直臣ではなく、増田長盛の家来なので、陪臣という形であった。
それでもお初殿にとっては大切な異母弟。
日頃から何くれとなく目を掛けていた。
それを知っていた家康は、自分が大老に返り咲けばその異母弟、
浅井井頼を豊臣家の直臣にすると約束した。
二通目はねね様宛て。
亡き太閤殿下の正室、北政所様。
秀頼様の後見役の一人として今なお大坂城にあった。
その影響力は無視できない。
自分は、自分を敵視する大老中老奉行等により、
謂れのない罪に問われようとしている。
それがまかり通れば太閤殿下の子飼い大名衆にも咎が及ぶ。
加藤清正、福島正則等の名を記し、自分の所領は削られても、
彼等を助けたい。
ついては大老中老奉行等に取り成して頂きたい。
筆を走らせながら家康は笑みを浮かべた。
これはどちらかと言えば、自虐的な笑み。
本多正信や近習等には背を向けているので、本心を現せた。
三通目はと考えて、ある人物を思い浮かべた。
正信に尋ねた。
「正重は今も前田家と親しいのか」
本多正重。
正信の弟で、かつての三河一向一揆の際には兄に従い、
家康に敵対した。
が、一揆が鎮圧されるや兄と別れて帰参した。
その正重、どういう訳か、一時期ではあるが徳川家を退去し、
織田家の大名衆を転々とした。
その一つが前田家であった。
正信が無表情で応じた。
「我が弟ながら、武辺一筋の男。
殿のご期待には添えないと思います」
前田利家の病状を探りたかったのだが、あっさりと否定された。
その言い分はもっともだ。
別の手を考えようとすると、正信に諫められた。
「殿、殿は今、臥せておられるのです。
起きられぬ程に、そこはお分かりですよね。
ですから、書状は程々にお願いいたします。
それでもと申されるのでしたら、私共が走り回ります」
正信が両手を着いて低頭した。
これに不寝番の近習達が倣った。
確かに正信の言い分は正しい。
臥せている者が次々と書状を送るのは不自然の極み。
家康は指示した。
「ねね様とお淀様の周りの女共を切り崩せ。
手土産に金銀をばら撒け。
ばら撒いて味方に付けろ。
・・・。
次は内裏だ。
摂家にばら撒け。
ばら撒いて仲裁に入って貰え。
金銀を約束すればあの者等は目の色を変えて働く筈だ。
遠慮は一切無用。
・・・。
大老中老奉行連中の家中を粗探しし、付け入る隙があれば突け。
騒ぎを起こさせて大きくしろ」
翌日も曽呂利新左衛門が見舞いに訪れた。
徳川家は三日続けての門前払いを喰らわせた。
それを見越して曽呂利は門前で又もや茶を点てた。
こうなると、どちらも慣れたもの。
言い争い一つもなかった。
ただ、今回の曽呂利側は早めに引き上げた。
すると、入れ替わるようにして、豊臣家から新たな使いが現れた。
「某はお上の御用で参った。
徳川様に言上申し上げたい。
が、徳川様は臥しておられると聞き申した。
そこで代人として重職の方にお取次ぎ願いたい」
門番は事前に言い含められていたので、指示通りの応対をした。
「当家のお歴々はお出かけで御座います。
今、当屋敷には軽輩の者しか居りません。
失礼では御座いますが、お帰り下さい」
豊臣家の使いは顔色一つ変えない。
「そうですか、それでは申し上げます。
明日、上様からのお沙汰を持って織田老犬斎様が来られます。
きちんとお迎えください、宜しいですな」
その遣り取りを家康は正信から聞かされ、思わず首を捻った。
こちらもこちらだが、向こうも向こうだ。
いやにあっさりしていた。
「正信、どう見る」
「門前払いを承知の上での事かと」
「面子を潰されても怒らない、・・・実に作為的だな」
「門前で騒ぎになれば、下手すれば刃傷沙汰、
こちらより向こう様の方の威信に傷が付きます。
それを恐れての事ではないでしょうか」
「それは上辺だけではないのか」
「確かに。
・・・。
しかし、弱腰過ぎる気がしますな。
何らかの思惑があって・・・、の事かと」
家康は城の大広間での言動は余すことなく入手していた。
上様大老中老奉行等は当然として、
居並んだ大名衆からの不規則な発言までもだ。
お沙汰の件はそこで決められたと知り、
侮りと熟慮の上で門前払いを続けた。
だが、だが、・・・だが。
その後、大老中老奉行衆によって謀議が為されたのではないのか。
大いに疑ってしまった。
家康は織田老犬斎様を迎えるにあたり、手立てを一部修正し、
屋敷内の重職から小者に至るまでの全てに通告した。
明日は、用のある者は裏門を使うように。
関係者以外は決して表門に近づかぬように、と。
正信が危惧を口にした。
「武装した者共を長屋に隠し置きますか」
「突入まであると考えるか」
「はい」
「それは任せる。
表門の警備は近習と入れ替えろ。
ああ、それにだ、明日は儂も詰め所に入る」
「入られますか」
「危険は承知だ。
だがな、織田老犬斎との遣り取りを間近で見たい。
奴は顔色を隠すのが下手だ。
それで何か読み取れるかも知れん」