(始まりは突然に)11
笑った家康は本多正信に窘められた。
「殿、笑い事では御座いません。
あれを許しては町の者達に笑われてしまいます」
家康は視線を正信から外した。
曽呂利新左衛門が茶を点てている方向を見遣った。
塀の向こうに見えるのは聳え立つ大坂城。
「あれには構うな。
・・・。
それよりもだ、大名衆の様子はどうだ」
家康は話題を変えた。
視線を正信に戻した。
憮然たる正信が居た。
そんな正信だが、不満は口にしない。
「城から下がった大名衆から書状が届いております」
家康は満足気に頷きつ、考え込んだ。
昨日の秀頼には驚かされた。
とてもではないが六才児の言動ではなかった。
それまでは、ただの発育の良い子供。
母方の血が濃い、とも感心した。
にしてもだ、どんなに聡明でも、
たったの一日で大名衆の信を得られる訳がない。
一夜明けた今、大名衆の多くは戸惑いの中だろう。
家康は五つの縁組を行った。
徳川家与党とも言える大名衆から養女を向かえ、
秀吉子飼いの大名衆との鎹とした。
自分の六男と伊達家の長女は別にして、他は秀吉子飼いばかり。
加藤清正、黒田長政、蜂須賀至鎮、福島正之。
彼等は豊臣家の武功派、大身がズラリ。
これで如何に文治派が嫌われているのか分かるというもの。
太閤殿下の顔が思い浮かぶ。
家康を右手で押さえながら、左手で覇権を掴んだ奴。
胡散臭い奴ではあったが、才覚で家康を凌いだ。
だから家康は遜り、臣従の道を選んだ。
対して秀頼は今なお才覚も人柄も未知数。
子供なので判断に迷う。
侮れないのは太閤殿下が残した威光と財力。
それだけが要注意だ。
人誑しが残した人脈などは蹴散らせる。
昨日、家康は肚を括った。
否、括らされた。
秀頼に。
年齢からしても、下るだけの家康に比べ、秀頼は上がるだけ。
この五年ほどが最後の機会。
それを周りには秘していた。
重臣の本多忠勝、榊原康政、井伊直政、
この三人にも明かしていない。
出戻りの正信であれば尚更だ。
その正信の視線に気付いた。
気忙し気にこちらを窺っていた。
正信に指示した。
「書状を精査しろ。
食い違いもあるだろうが、それには目を潰れ。
皆が皆、政の裏を読める訳がない。
弓馬の家が多いからな。
大事なのは、こちらの味方であるかどうかだ」
伏見城に在番で残した家臣の一人が書状を携えて来た。
「留守居番様から預かりました」
家康は昨日、伏見城に急使を送った。
用件は二つ。
まず一つ。
新任の城代、結城秀康が手勢と共にそちらに向かっている。
城に詰めている徳川与党の兵をそれぞれの屋敷へ退かせよ、と。
もう一つ。
とある書類の改竄を指示した。
ある意味、肝ともなる書類だ。
急いで開封した。
間に合っていた。
改竄した、と。
精査を終えた正信が報告に来たのは夜更け。
家康は奥室に招いた。
正信が束にした書状を差し出した。
「当主本人ではなく、重臣からの物もあります。
当主からの物が三十六通、重臣からの物が十八通です」
「つまり、十八家は日和った訳か」
「はい、そう理解しても間違いないかと。
当家との繋がりが露見した場合に、
その重臣を身代わりにするのでしょう」
「気の毒な。
ところで御掟を破った子飼いの大名衆への沙汰はどうなってる」
「今の所、その動きは一切御座いません。
おそらく、こちらを終えてからになるものと思われます」
「分かった。
説明を聞かせてくれ」
正信が寄せられた書状を突き合わせた結果、
本日の秀頼と大人衆、大老中老奉行の言動が詳らかになった。
見舞いの曽呂利新左衛門への言葉掛け。
こちらへのお沙汰の正使の人選。
そして江戸へも別の正使を送り出すと。
正信は危惧した。
「上様も上様ですが、周りの大人衆も大概ですな」
「ああ、上様の言葉を拡大解釈しないか心配になるな」
六才児にしては良く考えていた。
曽呂利新左衛門の見舞いの件。
お沙汰の正使の件。
誰かの入れ知恵か、と疑いたくなった。
家康は急遽、江戸への書状を二通書き上げた。
近習を呼んで手渡した。
「一つは秀忠宛てだ。
もう一つはお江殿宛てだ。
豊臣家の使者より先に届くように手配してくれ」
秀忠には事の経緯を説明した。
その正室、お江殿には、姉の淀殿への取り成しを頼んだ。
より問題は、お茶の席の一件だ。
上様が、田植え時期になると大名衆が領地へ戻るので、
その前に、是非ともお茶へ招きたいと言い出したのだ。
皆を良く知りたい、と言われると誰も反対できない。
話し合いの結果、数が多いので五名から八名ほどを組にして、
一日に一組を招く事になった。
家康は頭を抱えた。
これは明らかに、日和見大名衆の取り込みだ。
誰の入れ知恵だ、誰の・・・。
大広間の言動は手に入れられるが、それ以外は入手できない。
豊臣家は開けっ広げのように見えて、実は奥の警戒が厳重なのだ。
噂ではあるが、旧来抱えていた伊賀甲賀に加え、
降した雑賀根来風魔等を膝下に置いている、と。




