(始まりは突然に)10
老犬斎とは織田信包、有楽斎とは織田長益。
共に万石の主ではあるが武とは縁遠い二人。
それでもそれなりに存在感があった。
亡き信長様の弟として顔が広かった。
故に大名衆に何かと頼られ、折衝役方のような動きもしていた。
血族としては、足繁く淀ママの所へ通い、
軽重問わずに諸々の相談にも乗っていた二人。
与太郎はそんな二人に感謝していた。
が、どちらかを正使にするかとなれば・・・。
【第三の目】起動。
探した。
居た、居た、二人が大広間に。
その二人、咄嗟に与太郎から目を逸らした。
この問題に関わりたくないらしい。
さて・・・。
正使に相応しいのはこの二人だ。
他の者は考慮に値しない。
与太郎は二人の今日までの働きを思い返し・・・、止めた。
そもそも六才児がそこまで突き詰めて認識している訳がない。
それに、当事者二人の目の前でどちらかを選ぶほど、
与太郎の心臓はタフではない。
どうする・・・。
あっ、そうだ、その手があった。
与太郎は毛利輝元に視線を転じた。
「二人を正使としよう。
一人はこの大坂の家康殿に。
一人は江戸の秀忠殿に。
それでどうかな」
「秀忠殿にもですか」
「大坂から江戸へ間違った報せが届く恐れがある。
否、捻じ曲げられた、かな。
そうは思わぬか、輝元殿」
そこは輝元、理解が早い。
深く頷いた。
「お沙汰の朱印状は家康殿の手元に。
その写しを秀忠殿に、ですな。
良きお考えかと、異論は御座いません。
「委細は任せた」
「承知しました」
丸投げが成功した。
それによって派生する事柄にも対応してくれる筈だ。
☆
大坂城から間近い場所に徳川家の大坂屋敷があった。
広い敷地は表と奥で分けられていた。
表は徳川家全体の公務の場所、男の世界。
奥は家康個人の生活空間、女の世界。
その家康は奥で臥せている、とは近習の言。
家康は俄かな腹痛で城から下がって来た手前、
表に出るのを遠慮していた。
箝口令を敷いても、軽輩の口までは防げないのが最大の理由だ。
家康は奥の庭園にいた。
四阿で池の鯉を眺めながら、側室達を相手に茶を楽しんでいた。
そこへ近習の一人が急ぎ足で来た。
「本多様が面会をお求めです」
本多なら正信だろう。
他には思い浮かばない。
「無粋な奴よな。
まあ良い、通せ。
皆は遠慮せよ」
側室達を遠ざけたが、警護の近習達は残した。
本多正信が四阿の前で膝を着いた。
「取り急ぎ報告致します。
門番からです。
曽呂利新左衛門殿と上番医が見舞いに参られましたとのこと」
これに家康は表情を消した。
「昨日、門前払いしたにも関わらずか」
「はい、如何致しますか」
「昨日と同じで良い。
丁寧に、門前払いにせよ」
「承知致しました。
ですが一つ、あの曽呂利殿ですから、昨日同様、
またもや座り込むかも知れません」
「ご苦労な事だ。
この寒空の下、どこまで我慢できるかな。
・・・。
兎に角、揚げ足を取られては適わん。
関わるのは門番のみとせよ」
曽呂利新左衛門は家康にとって理解し難い一人。
弓馬の働きで身代を大きくした家康とは対照的に、
曽呂利は洒脱な語り口と揚げ足取りで、
亡き太閤殿下に引き上げられた奴。
とてもではないが、好んで同席したいとは思わない。
忌々しさを隠し、これからの時間潰しを考えた。
今更、側室共を呼び戻すのも何だ・・・。
家康は近習共に指示した。
「薬の調合をする。
部屋から運んで参れ」
有能な近習達は聞き返さない。
何が必要で、何が必要でないか、良く知っていた。
過ち一つなく、手早く運んで来た。
それを四阿に並べた。
家康は乳鉢と乳棒を手前に寄せ、次の指示を出した。
「お主ら、儂は暫くこれで忙しいから適当に息抜きしてろ」
正直、視線が多いと疲れる。
近習達にとっては何時もの事なので、身辺から離れた。
かと言って、遠く離れる者はいない。
家康にとって今回の御掟破りは強引だったが、
それなりに勝算はあった。
豊臣家の文治派と武功派の対立を利用し、
亡き太閤殿下の影響力を削ぐつもりでいた。
なのに、家康のたった一言で思惑が無に帰した。
「上様、宜しいですか」
上様への問い掛け、否、あのガキへの一言が余計だった。
それまでガキでしかなかった者が立ち上がり、こちらを見下ろした。
「徳川殿、なにかな」
「皆が、上様のご裁断を仰ぎたいと待っております」
すると待っていたかのように、聞きたくない言葉を吐かれた。
自分へではなく、よりにもよって前田利家にだ。
「前田殿、答えは短くな。
御掟を破った、破っていない、この何れだ」
ふー・・・。
薬の調合も一段落した。
額の汗を拭い、肩の力を抜いた。
家康は端に置かれていた物に気付いた。
つい最近手に入れた香木だ。
思わず手を伸ばし、香木を少し小刀で削った。
削ったのを乳鉢に入れ、乳棒でゴリゴリ、ゴリゴリ、ゴーリゴリ。
良い香りが漂って来た。
再び本多正信が来た。
「曽呂利殿が門前で茶を点て始めました」
家康は思わず正信を睨み付けそうになったが、
落ち着け、落ち着け・・・。
「どういう事だ」
「門前払いしたところ、前以って用意していたようで、
床几や縁台を並べて茶を点て始めました」
「門前でか」
「はい、門前です」
これは笑わずにはいられない。
「ふっ、はっはっは。
徹底してるな、あ奴」