6話
空が明るみ始めた。
リーネは魔王城の裏手をぐるりと周り、居眠りしていた門番を倒してから高い塔のある棟へ侵入した。上階へ登っていくと、規則正しく並んだ南側の小窓から魔王の間の様子が伺えた。
魔王は床に大きな布を敷き、子供たちやヴェンデルと一緒に雑魚寝している。長槍ならギリギリ届く距離だと予測したリーネは、槍の先に先ほど剥いだ門番の衣服を巻き付け、小窓のひとつから身を乗り出して寝ているヴェンデルをツンツンつついた。
「ゆ、勇者さん!」
「しっ」
窓際に寄ろうとするヴェンデルを制して、ひそひそ声で指示する。
「そこらから私に命中率を上げる術をかけられるか」
「え? あ……はい?」
ヴェンデルは訳分からぬまま、リーネへ術をかけた。光に包まれたリーネは、魔術の効果で集中力がみなぎり、神経が研ぎすまされる。
「そこか!」
突いた槍は魔王の脚へ直撃し、魔王は叫び声を上げる。
「なんだァ!?」
間髪入れずにもうひと突き、別の小窓からまた突き、突いては身を屈めを繰り返しながらリーネはじわじわと魔王の体力を削っていく。
「いっ、痛ぇ! 避けてろお前ら!」
何せ、魔術で底上げされたリーネの命中率は100%である。彼女は今、狙ったもの全てに鋭い槍を突き刺すことができるのだ。
手足はもちろん、指先や目の上、赤いツノに至るまで全てが今や彼女の手の中だ。連続する突攻撃に反撃の暇がなく、魔王は刺された眉間を押さえながら右往左往している。
「くそ……っ、こんなやつ、いつもなら爆撃で一撃なのに」
「つべこべ言うな! とどめだ!」
リーネは魔王の首もとの頸動脈に刃先を沿わせる。
「ぐっ……」
攻撃は表皮をかすり、赤い血が滴った。いくらなんでも魔界の王にしては弱すぎる。子供が好きなのは事実で、子供に怖い思いをさせたくないのかも知れない。
リーネは槍を窓の先へ引っかけ、魔王やヴェンデルがいる前方の塔へ飛び移った。
「ヴェンデル!」
窓の近くにいたヴェンデルの灰色のローブを掴み、室内に転がり込む。驚いた子供たちはリーネの周りから後退りした。
「何が望みだ」
小さな魔王は息を切らしながらリーネを睨み付ける。
「子供たちは渡せない。だが、わしの城までたどり着いたことに免じてどんな希望でも飲んでやろう」
「……」
「なんだ、言ってみよ」
魔王は子供のひとりを呼び寄せると、優しい手つきで頭を撫でた。
リーネはわざとらしくヴェンデルの腕を掴むと深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。
「この者と結婚したい」
ヴェンデルは真顔になり、魔王も苦虫を噛み潰した顔をしている。彼らを拝見してリーネは思い出したかのように付け加えた。
「あっ、お前はこいつが女だと思っていたんだったな」
ヴェンデルの下腹部にサッと手を伸ばすと、トラウザーズの前紐を解いて乱雑に膝元までずり下ろした。
またもや下半身が丸見えである。
「なにをやってるんですかぁぁ!」
リーネはヴェンデルの叫びは無視して魔王に一歩近づく。
「魔王」
硬質な床の上で、ブーツの足音が響く。
「今まで寂しかったな」
「どうしてそのことを……」
リーネは目を見開き呆然としている魔王の手を取り、そっと握った。
「私はこいつと結婚して、幸せな家庭を築く。たくさん子供を産んで、孫にもたくさん恵まれるだろう。魔王をもうひとりぼっちにはさせない。だからもう寂しくなどない!」
「勝手に決めないでください」
気のせいかリーネの背後で呟いたヴェンデルの、口元が緩んでいる。
実はリーネは魔王の居場所を冒険者だった祖父から聞いて小さい頃から知っていた。魔界とはどんなものだろうと想いを馳せるうちに、いつも魔王の噂だけで他の悪魔の噂は全然耳に入らないことに気づいてしまったのだ。
リーネの予想通り、いや予想以上に魔王は生きていきた。齢3341になる彼は、リーネやヴェンデルが生まれる何千年も前から魔界で暮らしているが、以前は長命種ではなかった。
魔王の前身、悪魔くんは稀に見る才能の持ち主だった。14歳のときに自然災害を起こし人間を大量に殺めて神から魔王の称号を得たのだが、貰ったのはそれだけではない。不老不死になったのである。
老いずに死なない身体であることを最初は誇りに思っていた魔王だが、家族や友人が死んでいくと考えが変わっていった。自分だけ生き長らえていても面白いことは何もなく、死なない身体を憎むようになってしまったのである。
「こんなことなら、わしも一緒に逝けば良かった」
次々と人々が入れ替わる中で、魔王は疎外感を感じずにはいられなかった。
限界がきた彼はついに、地上から子供たちを拐って共に暮らすことを決めた。魔界とさして変わらない寿命だが、地上の子供たちは純粋で可愛らしい。自分のことを恐れず、魔王という名の普通の大人と信じ接してくれる。
「まおうさま! いっしょに遊びましょ!」
「パンケーキだぁ! やったぁ!」
毎年数人の子供たちを人間に代わって育ててやろうと、慈しみ愛情を込めて可愛がってきた。
たくさんの笑い声に溢れる生活こそが、彼の求めている理想の生き方だったから。
「……勇者お前は、地上の生活に未練はないのか?」
魔王は荒れた長い一本道の先に広がる人間の世界を遠くに見た。魔王にとっては、魔界に悪魔として転生する前に少しだけ住んでいた場所だ。流行り病で生まれてすぐに死んだから思い出も未練も何も残っていない。
だが目の前の勇者は違う。勇者として一式の装備を揃えられるだけの金と、旅立てるほどの心と身体の健康を兼ね備えている。魔王とは違う、恵まれた人間だ。
「……」
勇者が押し黙ると、未練タラタラじゃないか、と魔王は自嘲した。
「わしを殺して、子供たちと共に帰ればいい。わしのことなど誰も気にかけはせん。魔族はもう、わしの他には野生のモンスターしかおらんのだからな」
力なく言葉を放つ魔王の声は、心なしか震えている。
リーネとヴェンデルはじっと魔王を見つめた。
魔王は人間を美化し過ぎている。人間とて自己都合で生きている生き物であり、自分に不利になると逃げるし簡単に裏切るのだと、二人とも身をもって知っているのだ。
「帰るところなどない」
「そうですね……金という土産がなくちゃ、家族にも歓迎されません」
ヴェンデルがすっからかんになった麻袋をひっくり返した。
「子供たちは親の元に返し、私たちはお前に引き取って貰いたい。どうだ?」
「じ、自分は……剣術はできませんが、料理や畑仕事はできますよ。ま、魔王さんのお口に合うか分かりませんけど……」
「……本気か?」
昨日まで敵だった人間たちが手のひらを返したように懐いてくるなんて裏があるのではないか。
魔王は何度も何度も二人に確認をした。魔王という立場は強そうだが、魔界の住人が自分しかいないだけのハッタリに過ぎず、本当は勇者なんかよりずっと弱い。本気を出されれば敵わないだろう。
だが、妊婦好きという噂に惑わされず、辺鄙な魔王城までやってきてくれたのは彼らが初めてだ。
本当は子供たちとの会話じゃ物足りなかった。
もっと深みのある議論がしたいし、くだらないやり取りで盛り上がりたい。一緒に酒を飲んで、朝まで語り合いたい。久しぶりに本当の仲間ができるチャンスがやってきたのだ。願いを聞き入れない訳がない。
魔王はヴェンデルに手の甲を向けた。
「お前らは本当に夫婦になるんじゃな?」
ヴェンデルは照れながら、魔王の手に自分の手を重ねる。
「当然です! 勇者さんは、自分を必要としてくれた唯一の人なんです。出会ったときに一生尽くすって心に誓いましたから!」
リーネは困ったように頭を掻き、彼女もまた二人の手の上に自らのものを合わせた。
「お前は本当に重いな」
「勇者さんだって結果オーライでしょう」
三人は円陣を組んで誓いを立てる。
「私はこれからは自分に正直に生きるとする」
「じ、自分も、遠慮せずベタベタすることにします」
「じゃあわしは……そうじゃな。お前たちとの時間を目一杯楽しむからな」
各々の宣言に、リーネやヴェンデル、魔王は、目を細めて笑い合った。
小柄で弱い魔王は二人と兄弟の如く仲良くなった。勇者リーネを姉のように慕い、魔術師ヴェンデルを弟のように可愛がって、末長く楽しく暮らしたそうな──
「まおうさま、おきて! あたしおやつがたべたいの!」
二人が移住して五年後の夏、魔王は相変わらず、大好きな子供たちに囲まれていた。