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3話

 勇者リーネは哀れんだような瞳でヴェンデルに目を向けた。

 

「私は、お前の夫ではない」

 

 ヴェンデルは全力で首を横に振って否定した。

 

「ち、ち、違いますよ! 自分のことではなく……って、自分ですけど! 自分を、妊婦に見立てて下さいって言ってるんです!!」

 

「見立てる?」

 

「そうです。自分は細くて筋肉がつきにくいんですけど、妊婦のふりならできると思うんです! お腹に何かを詰め込んで、赤ちゃんがいるみたいにしましょう! 魔王は城の外に出たことがないじゃないですか。遠くからなら誤魔化せるかも知れませんよ!」


 確かに誰もが討伐を諦めている現状で、魔王を見た者は誰もいなかった。


「……やってみる価値はあるな」


 二人は村の外れの掘っ建て小屋の裏に隠れた。

 河原から石を広い、牛飼いから藁を分けてもらい、石を藁で軽く包んでから大きめの麻袋の中に入れた。麻袋の両端の紐をヴェンデルが下げている水晶のネックレスで結びつけ、下から両手で支え上げることでずっしりとした重苦しさを演出した。


「ちょっと苦しいんですけど」


「耐えてくれ」


 リーネは息苦しそうなヴェンデルの手を引っ張って魔王の住処へと向かった。目元は髪で隠れているし、身体のラインは厚手のローブを羽織っているせいで偽物だとは分かりにくく、遠目で見れば妊婦にしか見えないだろう。

 リーネはドヤ顔で顔の知らぬ魔王へ呼び掛けた。


「魔王! ご希望の妊婦をお連れした! お気に召したなら私たちを中に入れてくれ!」


 隣では首から石ころをぶら下げたヴェンデルがハァハァしているが気にしない。今は魔王の懐柔が最優先事項なのだ。

 

 しばらくして、辺りに漂っていたモヤモヤした黒い霧がフッと消えると、代わりに強い風が二人を打ち付けた。向かい風に当てられたヴェンデルのフードは脱げ、リーネのポニーテールはうなじを何度も叩き付ける。


「おい」


 深く、響くような声がした。バリトンのような声色は、直ぐに魔王のものだと察した。リーネはヴェンデルの顎を上向かせ、美しい顔を見せつけた。


「魔王! どこにいるのだ! 一度話しようじゃないか。この娘も交えて地上との今後について話し合いの機会をだな……」


 丸く造形したお腹を撫で付け、愛おしそうな台詞を吐いた。


「親愛なるベビー、お前もそう思うだろう? 魔王の顔を一度見てみたいだろう。そうだ、声でもいい。こっちに来てもっと良い声を聞かせてくれ。ベビーも魔王の美声を聴きたがって……」


「うるさい!」


 まくし立てるリーネの声はブツッと遮られた。言い過ぎだと、青い顔でヴェンデルがリーネを見つめた、刹那であった。


「馬鹿にしてるのか!!!!」


 地響きのような怒声が鳴り響き、強風は熱風となって勢いよく二人の身体を撫で付けた。


「──!?」


「熱い!! 勇者さん! 熱い!」


「おい、ヴェンデル! くそっ、一旦引くぞ!」


 リーネは急いで麻袋の紐を短剣で切り落とした。ヴェンデルを不自由にしていた思い石や藁は一斉にバラけて地面へ弾け飛び、二人は大慌てで村の入口へと逃げ出した。




「はぁ、はぁ……っ、重かった……」


「危なかったな、あんなのを正面から喰らっていたら大やけどするところだった」


 吹き付けられた熱風は、旅路の途中で通過した砂漠地帯よりも熱かった。季節は夏、強い太陽と相まって、身体へのダメージは相当なものだっただろう。

 リーネは村の井戸から水を汲み、手桶に入れてヴェンデルの口元へ近づけた。熱風をより多く浴びたヴェンデルは、リーネよりもしんどいだろう。


「大丈夫か? どこも怪我していないか?」


 リーネはヴェンデルの顔を覗き込んだ。

 しかし、顔を見た瞬間、目を丸くした。


「……ヴェンデル……? お前、ヴェンデルか?」


「はい? そ、そうですけど……」


 ヴェンデルの目を覆い隠していた重い銀の前髪は熱風で散り散りに焦げ、麗しい桃色の瞳が露になっている。攻撃が腹部を狙ったために衣服も焦げ一部は地肌まで貫通しており、胸元や腹部をさらけ出すような姿である。

 自分の姿に気づいたヴェンデルは顔を真っ赤にして、残っていたローブの端切れを寄せ集めて隠していたが、気にするところではないと思った。ヴェンデルには女の子には少なからずあるはずの物がなかった。


「ヴェンデル、お前、男だったのか」


「……そうですけど……」


 リーネは目を反らしながら言った。下半身の衣服まで焼け焦げていたことには触れなかった。


 ヴェンデル・グレルマンは14歳のとき、か弱い人間を放って置けないリーネがパーティーに引き入れた。加入から5年、たいして身長も伸びずに声も高く、ヴェンデルのことは女の子とばかり思っていた。

 しかしよく考えてみればリーネが女性としては高身長なだけであり、目線が合うヴェンデルもさして低くはない。美しい外見にとらわれ、異性とは全く想像していなかっただけである。


「男か……そうか……男……」


「知らなかったんですか……」


 なぜか悲しそうに物思いに耽っているが知らんこっちゃないし、男と意識すれば途端に男にしか見えなくなるから困りものだ。厚手のローブの下は細身ながら意外と筋肉質で骨張った骨格をしている。見かけ倒しで剣術には才がないが、裸でも見映えがする。羨ましいくらいだ。

 美しい裸体を凝視していると、ヴェンデルは両手でリーネの両目を覆い隠した。


「み、見ないで下さいってば……!


 彫刻のような裸体なのに、恥ずかしがる必要はないだろう。


「いや、見させてもらう」


「なんでですか!」


「私はこの歳だが、恥ずかしいことに男の身体というものよく知らんのだ。魔王を倒すには対策と研究が不可欠だろう。この際だから隅々まで観察させてもらう」


「は……!? はぁ!?」


 ヴェンデルは耳まで赤くなっているが、気づかないリーネは彼の顔に触れる。触れられたところがビクッとして熱を持つみたいだ。


「なるほど、お前、あんまり頬がふっくらしていないんだな。声が高い割に喉仏は出ていて、変なところ男っぽいな。そうか、いつもフードを被っていて分からなかったんだな」


「……っ」


 リーネは頬から顎、首もとから肩のラインをしなやかに撫でる。嫌らしいことは何一つ考えていなかったが、ヴェンデルは違った。危うくいけないことを想像してしまいそうになり、パッと身体を遠ざける。


「や、やめて下さいって言ってるでしょう! 人で遊ばないで下さい! これ以上触ったら、自分も触らせていただきますからね!」


「いいが?」


「え?」


「どこだ? どこを触りたいのだ言ってみろ。お前には五年間支えてもらってるからな。身体くらいどうってことないぞ。ほら、好きなところに触れればいい」


 言うとリーネは上着を脱ぎ、薄手のブラウス姿になった。予想していなかった返事に、ヴェンデルの心臓はドクドク鳴る。

 

「そういうことじゃ、なくてですね……」

 

 ヴェンデルが触れようとしないので、リーネは再び彼の顔を覗き込んだ。桃色から橙色にグラデーションする瞳が、西日に照らされ煌めいた。 

 彼の瞳の鮮やかで澄んだ色彩に、リーネの心はドクンと脈を打った。

 

「綺麗だな……」

 

 思わずひとりごちた。

 ヴェンデルという人物は、照れ屋で、弱くて、守ってあげたくなる少女だとばかり思っていたのに、目の前の人間は細くも逞しい腕でリーネを護ってくれそうである。

 

「勇者さん……? どうしたんですか?」


 見惚れることなど滅多にないのに、リーネはヴェンデルから目が離せなくなった。少年と青年の狭間の美しい男性を、ずっと見ていたいとさえ思った。

 ヴェンデルの問いかけにハッと我に返ったリーネは、自分でも自分の心の変化に戸惑った。


「分からない。私はおかしいのかも知れない」

 

 リーネは自分の両頬をバチンと叩いた。

 

「お前は使えなくなんかない。私にここまで付いてきてくれたじゃないか」

 

「勇者さん?」

 

「私が証明してみせる。強化術をかけてみてくれ」

 

 ヴェンデルは頷くと、命中率アップの術を唱えた。首から下げているネックレスの透明な宝石から放射線状に光が放たれ、リーネの全身を包み込む。

 彼が使えるのは命中率アップの魔術のみだ。リーネの元々の命中率の高さの上では、ろくに意味を成さないと思っていたが。


「意味など作ればいいのだ」


 強化された命中率で大木を切り落とすと、横に真っ二つになった樹木は鈍い音を立てて落下した。


「当て続ければ必ず倒せる。90と100は信頼度が違う」


 彼らは再び魔王城の門構えの前に立った。

 立ち塞がっているのはモンスターだ。


「なるほど、易々と姿を見せない訳ですね。行きますよ! 勇者さん!」


「ちょっと待て」


 意気揚々と立ち向かおうとするヴェンデルを、リーネは引き留める。彼の美しい容姿をちょこっと利用させて貰わなければならない。


「お前、ちょっと気合い入れて男言葉にしてみろ」


「は……? なんでですか」


 ヴェンデルは尻込みしたが、目を輝かせるリーネに勝てず、先日までパーティーにいた男の真似をした。


「……勇者! もう大丈夫だ! 俺に任せて、お前は少し休め! ……なんちゃって……」


 真っ白な肌がポッと色づき、可愛らしいヴェンデルの顔がさらに可愛く見えた。不思議とリーネまで全身が熱く燃え上がり、胸がドキドキしてくる。不整脈だろうかと胸に手を当てたが、心臓は、治まる様子がない。


「もしかして……」


 リーネがじっと見つめると、ヴェンデルは少しだけ首を傾けて微笑む。


「何ですか? 勇者さん」


 暖色の瞳が細まり、空気が和らぐ。

 見知った人物のはずなのに知らない男性のように感じられて、リーネは息を呑んだ。


「お前が好きかも知れない」


 恋などしたことがなかったが、きっとこれが乙女心とだと悟った。

 

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