2話
「妊婦好き?」
リーネとヴェンデルは顔を見合わせた。
魔王が誰の言うことも聞かない頑固者だとは聞いたことがあったが、身籠っている女が好きだとは初耳だ。
「夫がいる女性のことが好きなんて、変な人もいるもんですね」
「人の好みはそれぞれだからな。差別するな」
「では……妊婦を連れてくればいいんでしょうか」
ヴェンデルは対応策を思案したが、地べたに座っていた男たちは次々と来た道を戻り始めた。
「無駄なことはよしな。妊婦なんざ来れねぇよ」
うち一人が立ち止まっているリーネたちに声をかけた。鍛えられた筋肉に背に大剣を背負っているところを見ると、彼も冒険者の一人だろう。
「何故だ?」
「よく考えてみやがれ。この先は魔界と地上との境界で、城の扉から先は完全に魔界となる。魔界は夜の空気が充満しているのだ。生まれて数年も経てばじきに慣れるだろうが、お腹の中の胎児には少々……いや、かなり酷なんだよ。生まれてもいない純粋すぎる生物は言って見れば"朝"そのものだ。境界線を越えるのには負担が大きすぎる。命の危険を省みてまで魔王を倒そうなどと思うと人がいるか」
「うむ……」
反論の余地無く、リーネは考え込んだ。彼の言うとおり子供の命を脅かしてまで、勝つかも分からない魔王討伐に協力する者などいないだろう。手伝えば金は得られるが、命には変えられない。
「拉致ればいいじゃないですか。世界平和の為に、ちょーっとだけ」
「戯けたことを言うな。周りを見てみろ」
ヴェンデルの頬を軽くつねり、リーネは後ろを振り返った。男の言葉を聞いた冒険者たちは続々と帰り始めている。
「現状魔王はモンスターを野放しにしこそすれど、人殺しはしない。討伐するまでもないという考えに至ったのだろう」
リーネが呟くと、ヴェンデルは目を見開いて怒りを露にした。
「そんな……っ! じゃあ、子供たちはどうするんですか!? 誘拐されたんですよね。放っておいたら殺されるかも知れないんですよ!?」
「自分の息子や娘が平気ならいいのだろう。冒険者たちにも家族がいるし、食わせてやらなきゃいけないからな。リスクを犯してまで他の子供のことまで構っていられないだろう」
帰路につく冒険者たちは、立ち止まって大声で話し合う二人を盗み見ながらいそいそと足を速めた。魔王討伐の依頼が達成できないのに、いつまでも長居する理由はない。村や町へ戻り、他の依頼を受けなければいけない。
二人はしばらく荒野入口で立ち尽くしていたが、日は上りきり、気がつけばすっかりひとけがなくなっていた。
まぶしい光を顔面に受けながら、ヴェンデルは重たい口を開いた。
「勇者さん……自分は、故郷に妹がたくさんいるんです。役に、立たないけど……帰る訳にはいきません……!」
肩を震わせるヴェンデルを、リーネは優しい眼差しで見つめた。
「私も同じだ。大丈夫だ。私は絶対に諦めたりしない」
力強く言い切った彼女を見て、ヴェンデルは少しだけ心が軽くなった。目の前の強く美しい人に、自分は何をしてやれるだろう。
南風が吹き、ヴェンデルの銀糸のような髪がふわえいと揺れた。
『ヴェンデルは可愛いわね。引く手数多の大人になるわね』
母から褒められたことが脳裏に浮かび、可能性を見い出したヴェンデルはゴクリと唾を飲み込む。
「勇者さん……自分を、妊婦にして下さい」