いい人として生きるのは、もうやめる。
「君さぁ、色気ないからやる気出ないんだよね。あばよ!」
「おぅ! 今までありがとな!」
勇者リーネはいい人だ。
仲間が次々パーティーを離脱しようとも決して責めない。長い藍色の髪をひとつに結んだ勇者は四人目の離脱者に笑顔で手を振った。
長い旅路の末、勇者御一行はようやく魔王城の前にやってきた。途中で立ち寄る町で困り事を解決する代わりに金をもらい、食事や武器、防具の資金に当てながら旅を続けてきて、ついに皆を悩ませる魔王と対峙するときがやってきたのだ。しかしながら、出発時六人いたパーティーは現在二人のみ。
「ま、またいなくなっちゃいましたね……」
「大丈夫大丈夫! こういうこともあるさ!」
勇者は仲間の肩をポンと叩いた。
銀の髪で目元を完全に覆い尽くし、灰色の重たいローブを羽織った陰気な魔術師・ヴェンデルと、藍色の髪にまばらに桃色が混ざった髪を高い位置でくくった女性・リーネが残った。リーネは女性ながら腕っぷしが強く、故郷の母や弟たちに良いものを食べさせるために志願して冒険者になった。
|(とは言うものの……)
リーネは周りを見渡した。
「見ろよあれ。ザコパじゃん」
「町から出直すべきだろ」
二人っきりになってしまったリーネたちに対して、心ない声が聞こえてくる。ヴェンデルは一瞬肩を震わせて、リーネの腕にしがみつく。
「勇者さん……どうしよう、やっぱり無謀なのかな……行かない方がいいかな……」
リーネは怖がるヴェンデルの背中に手を当てた。
「ここまで来て引き返す訳ないだろう。 ヴェンデル、お前だけが頼りなんだ。ついてきてくれ!」
リーネが励ますと、ヴェンデルは涙を引っ込め笑顔を見せた。
実のところリーネはヴェンデルには期待していないのだが、もちろん秘密だ。リーネは使用武器である長い槍をそっと撫でた。彼女は瞬発力や連続性には欠ける代わりに、高い命中率を誇っているのが特徴だ。敵を弱らせるのは魔法や呪術を使う他のメンバーの仕事で、モンスターの息の根を確実に止める係を担っていたのだが、現在は火や水といった攻撃魔法を使える人間は残っていない。生憎、リーネと似たようなスキルを持つヴェンデルだけになってしまったのだ。
「ブルズアイ!」
リーネの横でヴェンデルが自身の魔術の練習として術名を詠んでいる。効果は「自分や仲間の命中率向上」──そう、被っている。
「偉いな! ヴェンデル!」
元から命中率には優れているリーネにはほとんど意味がないのを知ってか知らずか、ヴェンデルはフードから覗く口元を嬉しそうに緩ませた。
「勇者さんのおかげです! い、一生勇者さんについていきます!」
ちょっと重い。
「うちの息子を返してー!」
ふと傍らを見ると、近くの村人らしき女性が何やら取り乱している。
「どうしたんだ?」
勇者リーネは村人たちに尋ねた。
「勇者様! うちの息子が、いなくなってしまって……もう、三ヶ月ほど経つの。魔王のせいよ!」
「僕のところも、双子がどちらもいなくなってしまった。こんな短期間で何人も子供が消えるなんて……神隠しと言う人もいるが、魔王が拐ったとしか考えられない!」
村では子供の誘拐事件が多発しており、村人たちによると犯人は魔王だというのだ。これだけ怪しまれるのであれば、目撃者もいるのかも知れない。
「分かった。魔界で子供たちを見つけたら必ず連れ帰ってくる」
リーネは村人たちと約束した。人間に危害を加えるとされる魔王には、多額の懸賞金がかけられている。リーネも金を稼ぐのが目的ではあるが、ついでに子供を助けるくらい朝飯前だと思った。
「……生きている保障はないですよ」
ヴェンデルがボソッと呟く。
「死んでいる証拠もない」
リーネは槍を背負い直し、魔王城へと続く荒廃した道を見つめた。村人たちのため、自らの弟たちにお腹いっぱいご飯を食べてもらうため、なんとしてでも魔王を倒さなければならないのだ。
日が落ちかかって、辺りが闇に染まり始めた。
リーネとヴェンデルはひとまずは魔王城前の村で宿を取り休むことにした。長らくテントを張って野営していたから、ベッドで寝るのは久しぶりだ。
二階へ上り荷物を肩から下ろすと、解放感で満たされた。やっと軽くなった身体のなんと爽快なことだろう。歩きっぱなしだった足は棒のように固いが悪くない気分である。
「ヴェンデル、先に寝てていいからな」
リーネは衣服を脱ぎ捨て、水浴びをしに宿の裏の湖へと降りていった。
「……忙しい人だなぁ……」
対照的に、ヴェンデルはベッドへと着の身着のまま倒れ込んだ。重い武器を担ぐリーネとは違い、魔術師のヴェンデルはあまり体力がない。元気が取り柄の彼女に付き合っていたヴェンデルは、リーネ以上にクタクタだった。シーツからほのかに香るおひさまの匂いに、吸い込まれるようにまぶたを閉じ、あっという間に眠りへと誘なわれてしまった。
深い眠りだった。
すやすやと眠るヴェンデルの足元でガサゴソと物音がしても微動だにしなかったほどに、深すぎる眠りだった。
翌朝ヴェンデルが目覚めると、ベッドサイドにリーネが腕組みして立っていた。ヴェンデルは憧れのリーネが目に入るや否や、目を輝かせる。
「勇者さん! き、聞いてください! 昨日いい夢見たんです! あの、勇者さんが……!」
「ヴェンデル、これはいったいどういうことなんだ?」
ヴェンデルはリーネが指差す方に目を向けたが、年季の入った普通の床板があるだけだ。
「これはとは?」
「よく見ろ、荷物が減っているだろう」
毎日背負っている大容量のバックパックのファスナーを開けてみると、確かにあったはずの物が消えていた。麻袋に入った一番大切な……金貨だった。
「お、お金が……!!」
リーネはため息をついて目を伏せた。
「宿屋に入っていく様子を見られたんだろう。恐らく、お前が一旦寝れば起きないことを知っている、元メンバーの仕業だろう」
彼らはお金を稼ぎ長ら旅をしており、袋に入っていたのがほぼ全財産といっても過言ではない。所持金を盗まれ、リーネは唇を噛み締めた。
「あいつら、ただじゃおかない。次に会ったら全額奪い返してやる」
「……いい人ですね。殺しましょうよ」
ヴェンデルはリーネ以上に殺気立っていて、彼女は逆に冷静になる。
「物騒なこと言うんじゃない。私たちが殺すのはモンスターや極悪人、そして魔王だ。良いな?」
「……はぁい……」
外套のポケットに手を入れると、小銭同士がぶつかる音がした。所持金は宿屋に支払ったわずかな釣り銭しかない。
弱すぎて多くのパーティーから参加を断られたヴェンデルを唯一拾ってくれたのがリーネなのだ。誠心誠意リーネに尽くしたいと思っているのに上手く立ち行かなくて、ヴェンデルはうつむいた。自分を仲間にしてくれたリーネのためにも、田舎に残してきた姉妹たちのためにも、ヴェンデルも頑張らねばならなかった。
「ほら、さっさと食べるぞ」
宿屋で出されたパンに二人で頬張った。
身体の細いヴェンデルを気遣って、リーネは自分の分も半分分けてくれる。
「勇者さんは優しいですね」
ヴェンデルは真っ白な頬を赤らめて微笑んだ。いつものことながら、リーネの気配りが身に染みる。ヴェンデルはせめて少しは力になろうと、部屋を整えて外へ出た。
「次に泊まるのは、貴族が使う豪勢な宿ですよ。必ず自分が勇者さんに泊まらせてあげます!」
「大それたこと言うな」
宿の外は良い天気だった。絶好の討伐日和とでもいうべきか、大勢の冒険者がモンスターを狩っていると想像できた。魔界で生まれたモンスターたちは揃って夜行性で、日光に弱いのだ。
しかしながら、村の近くにある魔王城までの一本道の前には未だ多くの男たちが気だるげに腰を下ろしている。皆さっさと戦いに挑めばいいのに、何をグダグダしているのか。
二人は歩く速度を緩め、道に腰を下ろしている冒険者たちの話し声に耳を傾けた。
「なんだよあの門、ビクともしねぇじゃねぇか」
「あぁ、知らねぇのかお前。魔王はな、極度の妊婦好きなんだよ。身籠ってる女じゃなきゃ話すら聞いてくれねぇんだ」