佐賀
そのとき私はマスクをしていたから、たぶん冬の終りから春のころだったのだろう。二千二十年以降は年中マスクをしているようになったけれど、それまではこの季節だけ外出するときにマスクをしていた。咳が出るので初めは花粉症かと思っていたのだが、どうも黄砂のせいのようだった。
そのころは奈良県の郡部に住んでいたので、近鉄とジェイアールを乗り継いで新大阪まで出て、そこから新幹線に乗って博多まで行った。山陽新幹線に乗ったのは、ずいぶん前の社員旅行のとき以来かも知れない。いやそのあと、姫路に行くときに載ったっけ。近いのに。好きな作家の講演会があったのだ。講演会などは、どうも東京であることが多いのでなかなか行けず、姫路なら日帰りできると思って行ったのだった。姫路城も行ったけれど、高いところが怖くて天守閣には登らなかった。
社員旅行のときは、後輩が岡山の出身で穴子飯が美味いと言ったので食べたのだが、本当に美味しかったので、今回の旅でも車内で買って食べた。博多からは在来線に乗り換えて、佐賀駅まで行った。県庁所在地だから、もっと大きなターミナルを想像していたのだけれど、大阪のベッドタウンや東海道線の地方の駅くらいの規模で、駅ビルもなく、構内に土産物屋やコンヴィニがあるくらいだった。
駅前にはロータリーがあり、その少し先に予約してあったホテルがあった。割と大きなホテルで、その辺りでは最も大きな建物のように感じた。記憶にないということはほかに目ぼしい建物がなかったということだろう。不動産屋や旅行会社くらいはあったのだろうが。
ホテルに荷物を預けて、大通りをまっすぐ歩いて行った。お店などは殆どなく、普通の住宅が並んでいた。十分ほど歩いて、小さな川を渡ったところに、大通りと交差するように商店街のアーケードがあった。こちらがメインの繁華街なのかと思ったが、はいってみると、やっていない店が多く半ばシャッター街になっていた。途中憩いの広場のようなところがあって、そこで休憩した。町興しの一環のようで、そのような掲示がされていた。
地図アプリを見ながら目的地を探した。まだ開いていない時間帯だけれど、場所だけ確認しておきたかった。外階段を上がった二階がそれだった。もちろん閉まっている。振り返り振り返り、道順を確かめながらホテルに戻った。川べりにやっているカフェがあったので、寄ろうかとも思ったけれど、やめた。そのままホテルに戻ってチェックインした。
たぶんしばらく昼寝をしてから、出かけた。さきほど確認した目的地へと向かった。きょうは好きなバンドのライヴがあるのだった。HというバンドとJと言うバンドに私淑していて、Hのライヴがあるのだった。会場のライヴハウスに着いたのは、まだ開場の一時間くらい前だった。奥の方からリハーサルの音が聞こえた。何をして時間をつぶしていたのだろうか。スマートフォンを使い始めたころだったように思うので、ツイッターでも見ていたのかも知れない。
そこへ、一人の少女がやってきた。少女と言っても二十歳前後のようで、会社員のように張り詰めた感じがないので、大学生だろうと思った。彼女は私を見ると、話しかけてきた。
「まだ開いていないですよね」
「そうですね」
「トイレに行きたいんですけど」
「店の人に言ったら、貸してくれると思うよ」
彼女は少し迷っていたが、「やっぱりコンヴィニで借ります」と言って階段を降りて行った。
戻って来たときには手にペットボトルのドリンクを持っていた。彼女は私の少し後ろに並んだ。しばらくするとその後ろに何人かが並んだ。中年の夫婦連れのような感じが多かった。やがて開場時間になり、私から順番に入っていった。東京だと、チケットの番号順に入ることが多いけれど、関西や九州では並んだ順に入ることが多かった。だから早々に来てならんでいたわけだけれど、整理番号順だと分っていても早めに来てしまうのだから同じことか。
狭い会場だった。正面に一段高くなったステージがあったが、楽器を置いたら牛牛だった。そこから長方形に客席があって、満席でも百人に満たないように思えた。私は一番前のやや右寄りに座った。さっきの少女は私の右隣に座った。このとき私たちは殆ど喋らなかったように思う。開演までに八割がた客席が埋まったので、けっこう盛況だなと思った。ライヴは大いに盛り上がった。どんな曲をやったのかは憶えていない。ツイッターにリストを挙げていたはずだが、その後凍結されてしまったので、今は見ることができない。
アンコールで、恐らく定番の有名曲をやったのだろう。その曲の最後で、ギタリストが客席に飛び込んできた。私たちのすぐ近くだった。ギタリストはすぐにステージに戻ったが、観客たちは相当興奮していた。しかし、直ぐに終演となり、私は特に何もしないで帰路に就いた。新しいアルバムが出ていたら買っただろうけれど、そのときはなかったはずだ。
目星をつけていた、ホテルのすぐ横の料理屋に行った。看板に馬刺しと書いてあったからだ。入ったところのテーブル席には誰もいなかった。右手奥に座敷があって、そこに団体客がいたけれど、そんなに騒いでいなかった。私は左手のカウンタ席に案内された。
「クレジットカード使えますか」
「使えますよ」
「お飲み物は」
多分ビールを頼んだと思う。そのあとは地酒にしたはずだ。カウンタにメニューは置いてなかった。
「馬刺しをください」
「ちょっと全部そろわないけれど、あるのでいいですか」
「いいですよ」
「あとローストビーフはいかがですか」
「お願いします」
料理を待っている間に、座敷の団体客は帰っていった。残っている客は私だけになった。もう閉店が近かった。馬刺しもローストビーフも美味しかった。あとで調べたら、ローストビーフで有名な店のようだった。食べ終ったらすぐに、所謂お食事が出てきた。ご飯と味噌汁だ。味噌汁は粗汁だった。鯛だったか鰤だったか。デザートも出てきて、苺だった。有名な苺の銘柄を言ったけれど、それではないと言われた。会計は一万円くらいだったと思う。非常に美味しかったので、また来たいと思ったけれど、あれ以来佐賀に行くことがなかったので、一度も行かないでいる。
部屋に帰ってツイッターでバンド名を検索していると、最前列で観ていたという客のつぶやきが見つかった。ギタリストが飛び込んできたよね、とレスをつけると直ぐに、びっくりしたよねと返ってきた。アイコンやハンドルからするとさっきの少女だろうと思えた。向こうが私だと気づいているかどうかはわからなかった。お互いにフォローし合い、そのあとも数年間Hの話題でやりとりした。
その後、彼女からはブロックされたのだが、私のせいではないと今も思っている。私たちがやり取りしているところへ、同じHのファンを名乗る男が割り込んできたのだ。ソーシャル・ネットワーク・システムなのだから、そういう「横レス」は、やっちゃいけないということはないのだが、フォローもしていないし、そんな熱のこもった返信もしていないのだから、歓迎されていないことはわかりそうなものだ。そういうところに気が付かない無神経なやつなのだった。
私は、そいつの書いたHの曲名の送り仮名を間違えているという指摘をしたことがあった。そうすると、アイチューンでそうなっているという反論が来た。どうしてそんなことを言ってくるのか。それだけで、そいつがHの本当のファンではないことがわかった。別の曲の題名だが、アイチューンで間違った曲名になって困っていると、バンドのリーダーが何度か言っていたからだ。念のためアルバムのジャケットに書いてある曲名を確かめて写真を撮って送って、嘘とコメントをつけたら、嘘つき呼ばわりするなと返ってきた。「嘘」と「嘘つき」は違うだろうに。
そいつは、私が彼女をライヴにしつこく誘ったからだと言ってきたが、そうではないと思う。一緒に行きたくなければそう言えばいいだけだ。それに、けっこう一人旅や遠距離の男女と食事したりするツイートをしていたので、そんなことに臆するような人ではなかった。こちらも下心はなかった。それがわからない方が下世話なのだ。まあ普段から品のないツイートをしていたし、ライヴ会場で見かけたことがあったけれど、小汚い恰好をしていた。せめてバンドティーシャツでも着ればいいのに。恐らく彼女はそいつをブロックするついでに私もブロックしたのだ。