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機動部隊の誕生
昭和8、9年の時点では、海軍の主力戦闘機は90式艦上戦闘機と言う複葉機であった。とても、飛行機がそこまで力を持っているとは考えられない時代であった。
恐らく航空派ではなくとも、第一次世界大戦後は、優秀な海軍軍人ならば皆、もう飛行機が海上作戦の花形だと言う納得はあったにしても。
戦闘の要素を突き詰めれば、「集中」と「分散」である。分散して制圧され難い味方ユニットを、狙った敵ユニットへ早く集中して破壊力を及ぼす。そのスピードを考えたのならば、巨大戦艦よりも「空母+飛行機」の方が、イニシアティブを取りやすいユニットである、と言う結論は出るだろう。
そう言う発想の元で、日本に空母機動部隊を作ったのが、治三郎その人である。言うなれば治三郎は、空母機動部隊の父である。日本海軍に空母と優秀な艦上戦闘機主体の、機動部隊が誕生したからこそ、米国の強力な空母打撃郡が生まれたのである。世界史上空母同士の艦隊決戦を、日本と米国だけが行っていた事は非常に意義深い事であった。