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ハンモック番号人事の弊害
日本海軍にはハンモック番号人事(所謂成績順人事)と言うモノがあった。正式名称は軍令承行令と言うもので、要するに海軍兵学校の時の卒業席次により、部隊で出世出来るか、と言う事を決めるシステムであった。
平時の海軍においては派閥の専横がなくなるなど、有用に機能したが、戦時には弊害が出た。その最たる事例があった。昭和16年時、航空戦隊の知識の無い南雲忠一の方が、治三郎よりも海軍兵学校の一期先輩と言う事で、治三郎は戦隊司令長官にはなれても、その上の機動艦隊司令長官にはなれなかった。
このハンモック番号人事が後の日米戦最大のターニングポイントになるミッドウェー海戦での敗因に繋がる。
南雲も治三郎も、同じ水雷畑の水雷屋ではあったが、航空戦に知識があるかないかで、その違いを考慮しないで機動艦隊司令長官を治三郎に任せなかったのは、ハンモック番号人事の弊害と言うよりも、ここまで来ると単なるヒューマンエラーであった。
治三郎は後に機動艦隊司令長官に就任するのであるが、その時は既に手遅れであった。