7/50
第一航空戦隊司令官
昭和14年11月、治三郎は第一航空戦隊司令官に就任する。第一航空戦隊(通称:一航戦)は、太平洋戦争開戦時においては、世界最強の機動部隊と言われていた。
その練度やパイロットの技量、兵器の性能などどれをとっても非の打ち所の無い精鋭部隊であった。日米戦の火蓋を切ることになった真珠湾攻撃においては、主戦力としてその力を見せつける事になる。
そもそも、昭和16年12月の開戦時において、空母機動部隊を運用出来ていたのは、日本以外では英国と米国しかなかった。
日本の海軍力がここまで成長した背景には、やはり日露戦争でロシア(ソビエト)に勝利した事が、経験値としては大きい。
陸軍は仮想敵国を陸軍はロシア、海軍は米国に設定していた事からも分かる様に、日本の仮想敵国は陸海の大国に目が向いていた。それらの国々と互角に渡り合う為には、少々の無茶をしても、大きなネイヴィーを持ち空母機動部隊を本格的に運用するしかなかった。