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海軍兵学校~海軍大学時代
海軍兵学校に入校してからも、喧嘩と言うか小競り合いはあったが、日本海軍伝統の鉄拳制裁には反対する等、骨のある一面を見せていた。
頭は柔軟だった様で、海軍大学校を卒業するまでは、水雷畑で水雷学校長迄勤める程のエキスパートだったが、海軍ではいち早く航空戦の重要性に気付く。
簡単に海軍大学校と書いたが、海軍大学校と言えば、正にエリート中のエリートのみが進学出来た、言わば選ばれし者達であった。そんな海軍大学校で成績トップ5の生徒には天皇陛下から贈られる恩賜の軍刀が与えられ、将来の出世が約束されていた。この風習は陸軍士官学校や海軍兵学校でも行われていた。
例えば恩賜品は陸軍大学校では当初は軍刀ではなく、望遠鏡であったし、陸軍士官学校や陸軍幼年学校では、銀時計が贈られ、海軍兵学校では短剣が授けられていた。陸軍大学校及び海軍大学校や陸軍士官学校での恩賜品の授与には、天皇陛下自らが行った。
そのルーツは、明治11年陸軍士官学校第一回の卒業式で明治天皇陛下が二人の優等生に、洋式軍刀を与えたのが始まりだったと言われている。