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最後の連合艦隊司令長官
昭和41年(1966年)11月、死を直前にした治三郎の元に駆けつけた栗田健男(元中将)に治三郎はこう言った。
「あんときゃなぁ……。(やむを得なかった)」
と。あんときとは、レイテ沖海戦で栗田艦隊が謎の反転をした時の事であった。治三郎ははっきり言った。後の方は聞こえない位小さな声だったが、最期の時まで治三郎は、同僚の栗田元中将をかばい続けていた。
戦争を経験した者だけが知る、余人には知りがたい深き想いであったのだろうか?結局その言葉が治三郎の辞世の句となった。享年80歳であった。治三郎は、臨終の句からも分かる様に、思いやりのある司令官であった。
残念ながら、彼の全力が発揮されたとは、言い難い。それでも、小沢治三郎無しには大東亜・太平洋戦争を語る事は出来ないであろう。日本人だけでなく、海外の人にも小沢治三郎の存在は知られるべきである。最後の連合艦隊司令長官小沢治三郎が残したもの。それはきっと我々戦争を知らない世代の、平和の糧となっている。




