憤慨
申し訳なさと共に、治三郎は主義主張を平気で変えてしまった戦後日本人に対する憤慨の念を持っていた。戦争を生き残れた将官達の変節には、特にその棘がチクリと治三郎の心に突き刺さった。
敗戦した事は確かに認めざるを得ない現実である。しかし、自分が生きていく為に、それまで生きて行く為にそれまで培ってきた、何もかもをかなぐり捨ててしまう腰の軽さが、どうしても尻軽に感じられるのは、治三郎だけではないだろう。
多くの若者の命を奪っておきながら、その様な軽率な事が平気で出来る信条が、治三郎には理解不能であった。
治三郎自身、自分だけが正義感の強い男であると思った事は一度もない。それでも、亡くなった多くの人間の屍の上を歩いて行く事は、治三郎にとっては苦しいものであった。やり場の無い怒りは、こうやってぼやく事でしか発散出来ない。
治三郎は不器用な人間である。もっと上手に小器用に生きる事も出来たかもしれない。その道を敢えて進まなかった小沢治三郎は、誠の武人であったのであろう。




