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海軍乙事件
昭和19年3月、フィリピンのセブ島沖で当時の連合艦隊司令長官だった古賀峯一(死後、元帥)の乗る飛行機と福留繁参謀長の乗機が悪天候の為、墜落し、古賀長官は死亡した。福留参謀長はフィリピン人ゲリラに捕らえられる。後、福留参謀長は解放されるが、機密書類の作戦計画書、司令用信号書、暗号書が米軍の手に渡った。
日本海軍当局はこれを海軍乙事件と秘匿名で呼んだ。吉村昭に事件の真相を追突した「海軍乙事件」が有名である。
信じがたいのは、機密書類紛失の大失態にも関わらず、フィリピン人ゲリラに解放された福留参謀長が、第一航空戦隊に栄転になった事である。
しかも、米国は入手した機密書類をわざっ、海に戻し入れて、日本海軍側に回収させた。そうしないと、暗号を変更される危険性があったからである。ここは、米国は徹底していたくら、日米のインテリジェンスに対する感覚は、それほど差があった。暗号書を敵に盗まれて栄転するのは日本海軍以外には無い。




