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アウトレンジ戦法の生みの親
アウトレンジ戦法の生みの親は治三郎であるが、この戦術は至ってシンプルである。日本の航空機の航続距離の長さを活かして、敵の射程外から一方的に攻撃を仕掛けると言うのが、アウトレンジ戦法である。
一見すると、理に叶った戦略なのかもしれないが、弱点もあった。この戦術を採用したマリアナ沖海戦の頃(昭和19年6月)では、既にアウトレンジ戦法を実行出来るだけの練達のパイロットがいなかった。
つまり、アウトレンジ戦法を使おうと思っても、飛行機乗りの熟練度が低いから実行出来ないと言う事に他ならない。アウトレンジをやるなら、もっと太平洋戦争の早い段階で、効果的に行うべきであったのである。
その様な事を今更嘆いても仕方の無い事ではあるけれども、アウトレンジ戦法のアイディアは抜群に良かっただけに、タイミングの悪さを悔いるしか無いのは残念な事であった。




