表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小沢治三郎~最後の連合艦隊司令長官~  作者: 佐久間五十六


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/50

今村均陸軍大将

 責任の人、聖将今村均陸軍大将も紹介しておく必要があるだろう。1886年生まれ、1968年没。

 関東軍参謀副長、陸軍省兵務局長等を歴任し、敗戦時は陸軍第8方面軍司令官であった。

 ラバウルの戦犯裁判で、禁固10年を宣告されて、日本に移送されるが、かつての部下達と同じ場所での服役を望み、パプアニューギニアのマヌス島で刑に服す。

 陸軍士官学校第19期卒、陸軍大学校首席卒。新潟県新発田市出身。素直さとリベラルな気質から、上原勇作元帥に可愛がられる。

 昭和10年教育総監部本部長として、「戦陣訓」をまとめる。ジャワの軍政もしたが、彼が直接関与した訳では無く、残った部下の責任を被った。克明な回顧録により、陸軍教育の欠陥を指摘するなど、リベラル派であった。

 自給自足と言う当時の陸軍には珍しい発想を持っていて、ニューブリテン島では、第8方面司令官時代に作れないものは、赤ん坊くらいだと言われ、何でも作った。陸軍に今村大将のようなキテレツな軍人がもっといれば、日本陸軍は変わっていたかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ