今村均陸軍大将
責任の人、聖将今村均陸軍大将も紹介しておく必要があるだろう。1886年生まれ、1968年没。
関東軍参謀副長、陸軍省兵務局長等を歴任し、敗戦時は陸軍第8方面軍司令官であった。
ラバウルの戦犯裁判で、禁固10年を宣告されて、日本に移送されるが、かつての部下達と同じ場所での服役を望み、パプアニューギニアのマヌス島で刑に服す。
陸軍士官学校第19期卒、陸軍大学校首席卒。新潟県新発田市出身。素直さとリベラルな気質から、上原勇作元帥に可愛がられる。
昭和10年教育総監部本部長として、「戦陣訓」をまとめる。ジャワの軍政もしたが、彼が直接関与した訳では無く、残った部下の責任を被った。克明な回顧録により、陸軍教育の欠陥を指摘するなど、リベラル派であった。
自給自足と言う当時の陸軍には珍しい発想を持っていて、ニューブリテン島では、第8方面司令官時代に作れないものは、赤ん坊くらいだと言われ、何でも作った。陸軍に今村大将のようなキテレツな軍人がもっといれば、日本陸軍は変わっていたかもしれない。




