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柔道の心得
刀無き新時代の護身術として明治の世にあって柔道は、人気のあるスポーツであった。
有り余る元気を少しでも消化する為に、治三郎の両親は、治三郎に柔道をさせる事を決意する。元々運動神経も良く、飲み込みは早かった。人を投げる事が出来ると言うのは、治三郎の様なわんぱく坊主にとっては嬉しかった。
だが、受け身の練習は嫌いだったらしく、その時だけはひたすら腕立て伏せをしていたと言う。人間を投げる事に必要なのは、そのほとんどが腕力である。だから、治三郎はとにかく腕力を鍛え上げる事に集中した。あとは、タイミングさえ合えば一本背負いだろうが、払い腰であろうが決まる。
治三郎は、通っていた道場においてはほとんど負ける事は無くなるまでに成長していた。その強さの秘密はとことん鍛えぬかれた、腕力にあった。その強さは呆れる程のもので、指導者である筈の師範まで圧倒する程のものであった。相手は大の大人であるにも関わらずである。