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小沢治三郎~最後の連合艦隊司令長官~  作者: 佐久間五十六


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南雲忠一海軍大将

 1887年~1944年に活躍した南雲忠一海軍中将(戦死後大将)についても、語っておかねばなるまい。

 山形県米沢市の出身で、海軍兵学校は7位、海軍大学校は次席で卒業、専攻は水雷屋であった。海軍中央の要職を踏み、その一方で水雷屋一本でやって来た現場の体験も豊富であった。艦隊派の中堅士官のエースとしても、腕をならす。

 艦隊派であったが故に出世街道を着実に踏み、そして登り詰めたポストが、第一航空艦隊司令長官(一航戦)と言う大任であった。真珠湾攻撃やミッドウェーにおける指揮を任せられるが、畑違いの水雷屋リーダーには、重荷と言うよりは門外漢故に意見を述べられなかった。判断も部下任せ。

 軍令部も、陸軍の面子から正しい情報を公開を避けて、責任をとるかと言う問題にぶち当たった時に、それを明確にしなかった。結局、南雲の失敗はうやむやにされ、無かった事にされてしまう。南雲は、そう言う意味では運の悪い男だったのかもしれないのだ。最後は太平洋方面艦隊長官として、サイパン島でピストル自決している。

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