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フランス領インドシナ
既に抑えている北部仏印から更に、軍を南下させようとするのを「南進」と言うが、南進政策によって、昭和16年7月28日に日本軍は、南部仏印(フランス領インドシナの事。)に進駐をする。
そこで、石油等の資源を手に入れる事は出来たが、その分手痛いしっぺ返しを食らう事になってしまう。米国が「在米日本資産の凍結」と、「石油の対日輸出全面禁止」を通告してきた。
まだ、米国との全面戦争にはなっていなかったが、米国国務長官のコーデル・ハルと、日本海軍大将野村吉三郎(駐米大使)等による日米交渉は、いつ決裂してもおかしくはなかった。
同年11月26日に「ハル・ノート」で有名な最後通告を米国は日本に突き付けて来た。まさか、日本としては、仏印(今のベトナム)への進駐が、事をそこまで大きくするとは思っていなかった。
何はともあれ、南進政策は海軍主導のものであり、これが日米開戦のきっかけになったのは事実であるだろうと、推測出来る。




