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宮崎のロクデナシ
明治19年、その男は宮崎県に生を受けた。生まれてこの方、とにかくわんぱくで、親兄弟も手を焼く存在であった。
中学生にあがる頃には、毎日毎日来る日も来る日も喧嘩三昧であったと言う。ガキ大将と言う言葉は彼の為にある様なものであり、現代なら少年院に送られる様なヤンキーであった。
それでも、近代化間もない日本で彼の幼少期にあっては、喧嘩等存分にやらせて貰えた。だがどうして自分が喧嘩三昧なのか彼にはよく分かっていなかった。
別に今の自分の状況に不満がある訳でも無く、気に食わない奴がいるわけでもない。彼には平和や平穏と言うものが、只退屈だっただけであった。
丁度、彼の思春期に当たる頃に、日露戦争が勃発していたのも、彼の武者魂を奮わせていたのかもしれない。
その男の名前は小沢治三郎と言う。後に日本海軍に空母機動部隊を生み出し、日本海軍の至宝である零戦を用いて、機動部隊の本格運用に漕ぎ着けて、米国と対峙する男である。
この時はまだ宮崎と言う土地で、意気がっている只のロクデナシであり、只の人であった。