10.狩り
遅くなりました。
葦は変わらず私よりずっと背が高く、遠くまで見通せない。でも、トンボやチョウが通り過ぎるので、きょろきょろするのは止められなかった。
カジョが片手を上げて、みんな止まる。カンデとマノリトが前に出て、小さい声で何か話し合っている。
のぞき込むと、大人は足下の地面に注目していた。ぬかるんだ地面に足跡がある。四本指で、見たことがない。
「――あ、ワニの足跡だ」
後ろからのぞき込んできたルピタが言う。
「え、ワニ?」
「うん! すっごく大きい奴だよ!」
なぜかルピタの目はきらきらしている。
「ちょっと遠回りしよう」
カジョはゆったり笑って、ドミティラに合図する。
少し引き返して、水辺から少し離れた固い地面を行く。葦原より少し高くなったので、遠くまで見えて楽しい。
「鳥がたくさんです」
「う、うん。み、みんなきれい」
マノリトがにこにこする。
カモみたいに水面に浮かんでいる鳥、サギやシギみたいに足の長い鳥、遠くの高い木にはハヤブサみたいな鳥も見える。ぜんぜん鳥の名前を知らないから、前の世界にもいた鳥なのか分からない。
「あの木を過ぎると、とてもきれいな場所になる」
カンデが少し遠い場所の木を指した。枝からたくさん根が降りる木――ガジュマル? に似ている。
やっぱりこの辺りは熱帯なのかな?
「ほおー!」
ハーサを過ぎたところで、広がった景色に歓声が出た。
スイレンだ。窪地の池一面に、黄色や濃いピンク、青紫のスイレンが咲いていた。
「きれー! いろんな色があるね!」
「私は黄色が好き!」
ぱっと言い放つルピタと、黄色はとっても似合う。
「エーヴェはね、エーヴェはね……」
どの色もかわいい。
あ、遠くには白がある。
「どれも好き!」
選べない。こんなにたくさん色があるなんて、初めて知った。
「エーヴェちゃんの髪みたいに赤いのも、目みたいに青いのもないもんね」
「タタンの目みたいに黒いのもないよ」
黒いスイレンは存在しないはずだ。少なくとも、前の世界では。
「黒いスイレン、竜さまが変質させたとき、何輪か咲いたんだって。エステルが言ってた」
「おお! きっときれいです!」
おどろさまの変質は植物にも影響があるのか。
じゃあ、虫とか魚とかも色が変わったりするのかな。
話すな、のジェスチャーをされて、ルピタと黙る。
スイレンの池の対岸で、カジョが身体を低くして遠くを見ている。
みんな黙って、カジョの近くに寄った。
「まだ遠いが、スベンザの群れがいる。風下側に射手が回って、二手からはさみ込もう」
地面に転がって目をこらすけど、群れがどこなのか分からない。
マノリトが隣で、すっと指してくれる。
かなり遠くのガマみたいな草むらの向こうに、黒い群れが見えた。水につかってるのか、どんな形の動物か分からない。
「あのホウオウボクの岸に、マノリトとカンデで回ってくれ」
マノリトを見上げたら、赤い花が咲いた木を指さす。
「エーヴェとルピタは追い役? 危険はないか」
「俺が追う。ドミティラがエーヴェとルピタを見てくれ。大丈夫そうなら、追い役に加わる」
「わかった」
カンデとマノリトがずるずると丘を下っていって、葦原の中に入っていく。
「ここから先は、静かにな。とくにスベンザに近づいたら、音を立てないように気をつけること。マノリトとカンデが位置についたら、俺たちがスベンザを驚かせる」
「エーヴェたちは驚かせませんか?」
「そのときは私が合図するよ」
「よし、行こう」
ドミティラに頷いて、こちらもずるずる丘を下がり、マノリトたちと反対の岸へと向かった。
みんなで身体を低くして移動する。ときどき止まるのは、疲れるからじゃなくて、ずっと同じ音を出さないようにするためなんだって。
かなり近づいてから、群れの位置を確認したカジョが、ドミティラとジェスチャーでやり取りする。
葦原に身を隠しつつ、静かにカジョは水の中に踏み込んでいく。
ドミティラに手招きされた。
「おいで、ちょっと見えるところへ行こう」
ルピタとしゃがんだまま、ドミティラの後に付いていく。
葦の葉陰だけど、カジョを横から見る位置に来た。
カジョの八メートルくらい先にスベンザがいる。大きな曲がった角が二本頭に乗っかり、水に身体の三分の二以上沈めた格好は、完全に水牛だ。
水牛って食べられるんだ?
何頭かは水の中に首を突っ込んで、水草を引っ張り出してはむしゃむしゃしている。何頭かはただ身体を水につけただけで、周りを警戒しているみたい。
「あ、あそこ、子どもだよ」
ルピタが小さな声で教えてくれる。大きなスベンザに囲まれて、何頭か小さな身体が見える。耳の毛がふわっとしてて、子どもは簡単に区別が付いた。
カジョはなかなか動かない。ほとんど顎まで水につかって、じっとしてる。
まだマノリトとカンデの準備ができてないのかな?
ドミティラやルピタに質問したいけど、声は出さないほうがいい。我慢だ。
ウー――ロロロロロロロロロロ……
「お? 何?!」
急な異音にぎょっとした。
同じ瞬間、カジョが隠れ場所から飛び出す。
つまり、これはカジョの声?
スベンザの近くに槍を投げ込んで、水しぶきを上げながら駆け寄る。
警戒していたスベンザは立ち止まって、カジョを振り向いたけど、水草を食んでいた何頭かが驚いて、ばらばらと対岸へ走る。
「あ……!」
対岸にはマノリトとカンデがいる。
思った瞬間、びゅうっというものすごく強い音と矢が空を走った。
二本? いや、三本かな?
対岸の葦原に突っ込もうとしていたスベンザが、悲しい声を上げて、脚をもつれさせた。
……矢が当たったんだろうか。
「ん、まずいな」
ドミティラが呟いて、立ち上がる。
「そこから動かないで!」
葦原を飛び出すと同時に叫んで、走った。
目をまたたく。
ドミティラは水の上を走っている。
「え、なんでなんで?」
忍者? 忍者なの?
「ドミティラは軽くなれるんだよ」
「ぇえー!」
軽くなれるといっても、すごいよ! 水に沈まない軽さって羽だよ! 羽!
ドミティラは矢が当たったスベンザの方へ走った。カジョも槍をつかみ直して同じ場所へ向かっている。
スベンザは脚をケガしただけみたいで、ケガした脚をかばいながら仲間のほうへ近づく。いつの間にか、カンデとマノリトが姿を見せていて、他のスベンザが来ないように声を上げて追い立てている。
ケガしている仲間を助けようとしているスベンザと、他のスベンザを追い払いつつ、矢が当たったスベンザに止めを刺そうとするマノリトたち。
カジョがケガしたスベンザの気を引いている間に、ドミティラが距離を詰め、前肢の付け根、肩甲骨の下から槍を突き立てた。
空気を震わせるような悲痛な声。
おもわず、首をすくめる。ケガしたスベンザの、どんどん乱れる息づかいが分かる。
「カンデ、縄を打て!」
「カジョ、角を押さえる!!」
「急げ!」
マノリトが他のスベンザを追い払う間に、ドミティラとカジョが二人がかりでスベンザの角を抱え込み、泥に押さえつける。
カンデがスベンザの脚に縄を掛け、ひとまとめにして引き倒す。
もうスベンザは抵抗できない。
人間の荒い息は聞こえたけど、スベンザの呼吸は聞こえなくなった。
遠巻きに立っていた仲間たちも、諦めたように少しずつ離れ始める。
ぽつりぽつりと別れを告げるような鳴き声が寂しかった。
評価・いいね・感想等いただけると大変励みになります。
是非、よろしくお願いします。




