19.おどろさまと泳ごう
お泥さまの泡は、変形自在。ボート型フロートみたいに、ぷかあとしていられるタイプや、練習用に一部だけ浮かせてくれるタイプがある。
おかげでルピタに、主に立ち泳ぎを教わることができた。
「タターン、むずかしいー」
「大丈夫だよ、エーヴェちゃん! 何回もやれば覚えるよ!」
思いのほかスパルタなルピタに、足の動かし方を指導される。
――いつか覚える。ゆっくりでよい。
お泥さまも励ましてくれる。お泥さまのゆったりで、ちょっと安心する。
お泥さまが顔を出した方向に、せっせと移動する。すると、お泥さまが顔を隠し、キョロキョロ探す。なんとなく水が動く感じがして、お泥さまがまた顔を出す。ルピタと一緒に、せっせと移動する。
こんな繰り返しが楽しい。
お泥さまもときどきふわっと光るから、嬉しい。
――そろそろ、帰るがいい。
「はーい、竜さま!」
お泥さまにうながされて、ルピタはすぐさまいいお返事。
「泥場も、泳ぐのも、疲れるんだよ。帰ろ、エーヴェちゃん」
「わかったー。じゃあ、おどろさま、またね!」
近くの岸に泳いで上がる。
お泥さまは水の中で、ゆったり瞬きしながら見送ってくれた。
上着を取りに岸沿いに歩いて、泥場の入口に着いた頃には、服はけっこう乾いていた。上着に袖を通し、竹林を抜けて筏に着く。
「なんだかお腹空いちゃったねー」
「はい、お腹空きました」
ルピタが筏を漕ぎながら、近くのガマ(に似た植物)から穂を折り取る。
「これ、甘いんだよ」
ガマと言えば、水辺のソーセージだ。でも、見た目の話で、食べられない。
半信半疑でかぶりつく。
思ったより、甘い。でも、口の中にもさもさが残る。どうしようかなと迷っていたら、ルピタはぺっと沼に吐き出してる。
「甘いね!」
私も吐き出して、はっと思い出す。
この感じ、サトウキビだ! 噛めば甘いけど、口の中にわんさか繊維が残る。
二人でガマをガジガジしながら、集落の桟橋に着いた。
桟橋で筏をつないでいると、大きな人が通りかかった。
「プラシド!」
「ニーノ!」
ルピタと私の声に、それぞれが立ち止まる。
おや、プラシドは無精ヒゲがなくなってるぞ。
「ほうほう、察するところ、お前さんたち、泥場の帰りだな」
しゃがみ込んだプラシドに、ルピタが駆け寄って頰を両手でこねる。
「そーだよ! プラシドがすっきりしてる!」
「やめやめ。会うやつ会うやつ、こんなんだ。俺、そんなにヒゲ合わない?」
「合わなーい!」
明るく笑ったルピタに、プラシドは眉を下げつつ、頭をなでる。
「――プラシド、初めて会ったときと違います」
「本来、プラシドはこうだ」
ニーノは無表情だけど、ちょっと安心したみたい。
よく分からないけど、プラシドは肩ひじ張ってたのかもしれない。
「プラシド、手術まで少し休んでおけ」
「分かったー。腹ごしらえもしとくよ」
肩車されて、ルピタはきゃらきゃら笑っている。
プラシドはなぜか大あくびだ。
「私は一度、部屋へ戻る」
「あ、エーヴェも一緒に行くー」
プラシドのが移ったのか、あくびが出た。
「ははっ、眠いな。泥遊びは、思ったよりずーっとくたびれる。寝る準備しておくんだよ」
「はい」
プラシド、優しい人でした。
帰る道々、かくんと意識が途切れそうになるので、ニーノが手を引いてくれた。
「ニーノ、おどろさまのお腹は赤かったよ」
「そうか。目をこするな」
「はい」
ふわーとあくびが出る。
「むー、手術が見られません」
「――見せる気はないぞ」
「ふぁ? なんと?」
いったいどんな大手術が行われるか、見る気満々だったのに。
「無菌状態に、より力を使わなくてはならないだろう」
「……エーヴェ、きんいっぱい?」
「菌は通常、どこにでもいっぱいいる」
あー、確かにそうだ。
魚の骨状階段を引っ張り上げてもらい、竹の床に座る。
夕ご飯もまだだというのに、眠気に負けそうだ。
ニーノは竹のテーブルの上に並べたガラス器の一つを見ている。あれは、シャーレだっけ?
「なんで、手術は夜ですか?」
「プラシドとの調整と、エステルにできるだけ栄養を取らせるためだ。それに、夜は多くの生き物にとって修復の時間だからな」
ずりずりとテーブルに近づくと、ニーノの眉間にしわが寄る。
「貴様はもう寝なさい」
「ニーノ、これ何? 血みたい」
シャーレの隣のフラスコは、一センチくらい赤黒い液体が入っている。
「血だ。触るな」
本当に血なのか、ちょっと目が覚める。
「誰の血? ニーノの?」
「そうだ」
なんで? と首をひねったところで、脇を抱えられ、寝台に運ばれた。
実力行使は珍しい。
寝台の気持ちよさに、思ったより限界だったのか、目蓋がくっつく。
でも、言わなきゃいけないことがある。
「おー……ニーノーがんばれー」
頭をなでる感触がした。
「そうだな」
短い答が落ちた。
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