18.それぞれの技術
遅くなりました。
――背中と首、ぽかぽか。
ずっしんとひっくり返って、お泥さまは今、背中が上になっている。
泥遊びでお腹がすいたので、ルピタといったん泥場から出てお昼にする。
泥は乾くと、パラパラはがれ落ちるので、はたくだけで元の肌色に戻る。顔と手をはたいて、笹の包みを開けた。
おにぎりに甘辛く味付けされた小魚が入っている。二つ目のおにぎりは、しその実みたいな小さな粒が入っていて、良い香りがした。そうじゃなくても笹に包まれていたから、笹の匂いが移って、良い香り。
もぐもぐ食べるときに、のんびりしているお泥さまが見えるのは嬉しい。
背中側だと赤いところが全然なくて、やっぱりオオサンショウウオな印象だ。背中に柔らかいでこぼこはあるけど、羽が生えそうな突起はない。
雷でできた羽――まったく想像できない。
「おどろさまはよく日なたぼっこしますか?」
「うん、三日に一回はするよ! 雨を浴びるのもお好きだよ!」
ルピタも、もぐもぐしながら答える。
雨を浴びるお泥さま。想像すると、ゆったり穏やかな気分になる。
竜さまは洞の中にいて、日なたぼっこは嫌いじゃなさそうだけど、雨をわざわざ浴びているのは見たことがない。
「ねえねえ、お山さまはどんな竜さま? やっぱり、竜さまに似てる?」
黒曜石の瞳にきらきら尋ねられて、首をかしげる。
「あんまり似てないです。りゅーさまはいつでも羽や角が生えてるし、たてがみがふわっふわだよ!」
「たてがみ?」
ルピタはきょとんとしている。お泥さまにたてがみが生えた姿を想像していそうだ。それだと、モヒカンになってしまう!
周りを見て竹の枝を拾い、泥に絵を描いた。
キャンバスが広いから、思う存分描き上げる。
「これ、りゅーさま!」
「ふーわー! 全然違うね! エーヴェちゃんもだけど、泥の中に入ったらたてがみが大変だね」
そうか、お泥さまの座のみんなが髪が短いのは、泥遊びしやすいようになんだ。
「りゅーさまは山の洞にいるので、泥に入らないよ。それに邸には、こんなにたくさん泥はないです」
「え、そうなの?」
森や竜さまのことについて説明する。ルピタはどれも目を丸くして聞いていたけど、付き人が四人しかいないことに、いちばんびっくりした。
「四人じゃあ、あんまり演奏できないね?」
「エーヴェたちは演奏しないです。エーヴェは歌うの好きだけど、みんなで一緒には歌いません」
そういえば、竜さまの偉大さを歌にする計画を実行しなきゃ。うっかり、忘れてた。
「いろいろ違うんだね。おもしろーい!」
「きっと、それぞれの竜さまにぴったりがあります」
お泥さまにはルピタたちの演奏がぴったりで、竜さまには邸の“みんなバラバラ”がぴったりなのだ。
「――は! 本当はタタンに見せるためにりゅーさまの鱗を持ってきた! でも、今はエステルさんに貸しています!」
「うろこ! お山さまの鱗! すごーい!」
「りゅーさまの鱗はすごいです! エステルさん、きっと元気になる」
「おおおおお!」
ルピタは興奮して叫び、にっこりする。
「エステルはすごいんだよ。竜さまはへんしつがあるから、人間は注意しなきゃいけないんだ。遊ぶとき泥が付いてたほうがいいのは、人間のためもあるけど、竜さまも安心なの。エステルは、竜さまのこといっぱい考えてる」
そうか。直接触っちゃうと、人間も変質作用を受ける可能性があるんだ。
「エステルさんのおかげで、お泥さまと仲良くできるんだね」
「そーなんだよ。鳴り竹だって、考えたのはエステルだよ!」
お泥さまのこともみんなのことも、よく考えてるようにしか見えないのに、やはり、エステルは複雑な人だ。
「そうだ、エーヴェちゃん、泳ぐ練習しなきゃ!」
お昼を平らげて、泥場に戻ろうとしたところで、ルピタが深刻な顔をする。
「りゅーさまー! エーヴェちゃん、泳げないの!」
「お!」
堂々と告げ口して、ルピタは泥場の右側を示す。
「あっちは浅い水路だから、練習しよう!」
転生前はクロール、平泳ぎくらいならできたけど、今はたぶん零だもんな。
「分かった! 鍛錬!」
泥場をもたもたと進むと、水面が見えてくる。
――泳ぎ、楽しい。
お泥さまの声が聞こえた。どしんどしんと地面を揺らしながら、お泥さまは水の中に戻っていく。
「竜さまが手伝ってくれるよ!」
ルピタがきらきら笑顔で言い放った。そして、ざぶざぶ水に入ると、水鳥の静かさで水面におどり込む。
え? 泳ぐって潜水なの?
それはいきなりハードル高いんですが。
水は浅いせいか、温かい。泥が舞って茶色の水は、急に深くなっても分からない。
恐る恐る進んでいく。
「エーヴェちゃん! こっちこっち!」
ずいぶん遠いところに浮かんだルピタが、勢いよく手を振ってる。
「待ってー!」
焦って、駆け出して、五歩目――。
急に底がなくなった。
滑り落ちるように水に沈む。
わっ、わっ、まずい!
慌てて、バタバタと手足を振り回した。水が服にからむ。
そうだ、着衣水泳はより分からん!
ぼごっと口からあふれる泡に、焦りが募る。
そのとき、下から何かにふわっと押し上げられた。
何か、柔らかくて丸いものが下にある。
それに乗るようにして、肩から上が水面に出た。
ぱちぱちと瞬く。
乗ってる物を見るけど、茶色い水の中で分からない。へこむ感じは、ウォーターベッドの気分。
「エーヴェちゃん、それ、竜さまの泡だよ」
ルピタが平泳ぎに似た泳ぎで近づいてきた。
「泡? 割れる?」
でも、ぬろんと私を支えた気体は、はじける様子がない。
――それで、沈まぬ。
お泥さまの声が聞こえた。しばらくして、少し先にむおっとお泥さまが顔を出す。
底から泡を送ってくれたのかもしれない。
気体は形が定まらないけど、なんだか浮き輪に乗ってるみたい。
試しにバタ足をすると、ルピタに近づく。
これは、まるでビート板!
「すごーい!」
「そうでしょー!」
隣に着いたルピタは、満面の笑みだ。
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