15.複雑な人たち
エステルの家から、宛がわれた家へと道をたどる。
鱗をエステルに貸したので空いた手を、ニーノがにぎってくれた。
「エステルさん、ふくざつな人です」
「その通りだ。――エーヴェ、貴様はよくやった」
「お!」
ほめられた気がするが、いまいち何をやったのか分からない。
ニーノは考え込んでいる。
「これは私から話すことではないが……、あれで今は自由に話せる体調ではない」
「エステルさんのこと?」
青白磁の目がこちらを見下ろして、頷く。
「エステルは他人の気持ちが分からない」
「――!」
ちょっと噴きだしそうだったよ。
ニーノが言われる台詞だよ、それ。
「悲しい。嬉しい。楽しい。自分の感情もときどきよく分からないと聞いた」
「でも、エステルさん、とっても優しいよ? いつもにこにこしてる」
「あれは、エステルが学んで習得した表情だ。笑顔で接すると、相手は安心する。経験的に習得して、目的に適うから選択する」
ぽかんと口が開く。
「ずいぶん洗練されていた。注意深く学習して獲得した態度だろう」
「むー、でも、誰でもそんな感じ」
社交辞令とか最初から言えるわけじゃない。だんだん学んでいく技術だ。
「ああ。他者の内心など分からない。だから、行動が攻撃的でないなら問題ない」
ルピタがあんなにエステルを好きなのは、エステルの言葉とか態度のせいだろう。
他者の嬉しいや悲しいが分からなくても、ルピタを傷つける態度は取らなかったってことだ。
「――だが、エステルが好きなのはお泥さまだけだ」
「唯一って言ってました!」
プラシドと子どもを作ったのに、“好きなのはお泥さまだけ”じゃ、矛盾を感じる。
「エステルさん、ふくざつ……」
「エステルは、他者の気持ちが分からない。お泥さまは気持ちを形にして表してくださる。それはエステルにとって、奇跡に等しかったはずだ」
「おお」
首に提げた筒から微かに香りが届く。
嬉しいから花が咲く。私だって、とても興奮した。
分からないものが物質になって目の前に現れるのは、どんな気持ちだろう。
「エステルの左腕にはただれがある。子どもの頃、お泥さまを悲しませ、毒を浴びた傷だそうだ」
「なんと」
「その傷が悲しみや怒りを教えたと話していた」
うわー、壮絶。
でも、周りを毒に変えちゃうほど悲しいことがあっても、お泥さまはエステルと一緒にいてくれたんだな。
お泥さまは、やっぱり偉大。
「そのエステルが、なぜお泥さまの側にい続けることを選択しなかったのか」
眉根を寄せるニーノに、瞬いた。
なんでそんなことを考える必要があるんだろう?
「エステルさん、治療受けます。きっと元気になるよ!」
「――そうだな」
ニーノはやっぱり、心配性な気がする。
歩いている途中で、すっかり眠くなって意識がなくなった。
桟橋の辺りで、遠くの水が光っているのを見た気がする。久しぶりに、ニーノにおんぶしてもらってたから、夢じゃないかも。ニーノの背中からなら、遠い水面も見える。
今朝もハスミンがご飯を持ってきてくれた。
「エーヴェ、その格好じゃ暑いだろ? 服を貸してあげようか」
旅行イコール冒険だから、私は現在、長袖長ズボンの格好だ。暑いと言われてもしかたない。お泥さまの座のみんなは、腕や足がむき出し。
基本は貫頭衣だけど、繊維がしっかりしているのか、時代劇で侍がお城で着る服みたいに、肩から布が張り出してる。そこに、ゆったりとした幾何学模様が染められてて、バラエティ豊かだ。内側に薄い布の服も着てるから、幾何学模様の方は、上着感覚なのかも。
「着たーい!」
「じゃあ、ご飯の後で一緒に行こう」
やっぱりハスミンの赤茶色の目はネコっぽい。
「ニーノは着替えますか?」
「いや、私はプラシドに用がある」
ちょっと考えて、はっとした。
「鍛錬!」
「――まぁ、そんなところだ」
「おおー!」
エステルの手術にプラシドは協力するって言ってたもんね。
ニーノちゃーん、と泣きつくプラシドが想像できる……。
「あ、ハスミン。ニーノは今日、エステルさんの手術します。きっとお腹空くと思うから、お昼ご飯届けて欲しいです」
「ああ、分かった」
「……なぜ、貴様が言う?」
ニーノがちょっとびっくりしている。でも、思い直したみたいに、ハスミンに視線を向けた。
「木の実類を多くもらえればありがたい」
「はいはい、分かった。あと、肉は苦手だっけ」
ハスミンがにぃと笑う。
今までの経験から、ニーノは魔法を使うと何か食べてるんだよな。きっとお腹がすくんだと思う。
「ニーノは心配することがたくさんあるので、自分のことを忘れるかもしれないです」
「ははぁ、賢いな」
「ジュスタも言ってた! エーヴェはかしこい」
ふふん、とニーノを見上げると、ニーノは冷たい目をしている。
あれ? これはありがとうの場面では?
「――まあ、いい。貴様はルピタと遊んでいろ」
ニーノは箸を置いて、席を立つ。あれ、もう食べ終わってた。
「貴様はゆっくり食べろ。ハスミン、よろしく頼む」
「おー。いってらっしゃい」
「いってらっしゃーい!」
ハスミンを真似して、ニーノを見送った。
評価・いいね・感想等いただけると大変励みになります。
是非、よろしくお願いします。




