7.鍛錬の使い道(例として)
相変わらずの日常です。
あの音が聞こえる。
海に近い民宿で、夜中に聞いた音。
まだ若い両親との旅行。浜を走り回って、流れ着いた海藻を放り投げて。せっかくの海も、私は幼すぎて、浮かぶことしかできなかった。それでも、くたくたになるまで遊んで、沈むように眠った。
波の音がどーん、と身体に響く。
いくつかの波の間にひとつだけ、大きい音が響いた。
ざーん……ざーん……どーん――。
大きい音の後は、しばらく音が戻ってこない。
「エーヴェ」
海――?
海はない。ここは森の中だ。でも、繰り返す音がある。
ソナーのように。
「エーヴェ」
いつの間にか、雨音は止んでいた。
ぱちりと目が開いた。毛皮に顔を埋めている。例えるなら、夏の柴犬。
竜さまの前肢とお腹の間で、私は器用にまるまっていた。
下で、銀髪がこちらを見ている。
「昼食がまだだろう。持ってきたから、降りなさい」
手を伸ばされ、下に降ろされた。拳で目をこする。むずむずとあくびが出た。
いつ眠ってしまったのだろう?
「りゅーさま?」
声をかけると、金の目が開き、小ぶりな耳がぴるぴるっと動いて、雫が散る。そのまま首をもたげて、大きくあくびをした。
竜さまも眠っていたらしい。
――少し、濡れたな。
ニーノの存在を確かめて、金の瞳が赤く揺らめいた。
竜さまの身体から、爆発的にオーラが立ち上がった。蒸気と熱気が、瞬く間にニーノと私の周囲に押し寄せる。
――雲の中に放りこまれた。そう感じたのは一瞬で、すぐさま視界が開ける。
ニーノが左手を下ろす。
たてがみをふわふわさせた竜さまが、後ろ肢を持ち上げ、犬のように首を掻いた。
「どこか、ご不快でしょうか?」
おにぎりを渡しながら、ニーノの視線は竜さまに向いたままだ。
――何、少々痒いだけじゃ。
水分が蒸発して乾燥したのだろうか? 血行が良くなって痒い?
そもそも、竜さまの身体って自分で掻けないところもありそうだけど。
そこで、思いついた。
「りゅーさま、エーヴェ、かきます!」
「――待て。貴様では力不足だ」
諸手を挙げて宣言したのに、ニーノは冷たい。
「ニーノがかくの?」
「竜さま、いかがしましょう」
事の成り行きを見守っていた竜さまが、すうと目を細める。
――ならば、任せるか。
そこからのブラッシングについては、正直よく理解できなかった。
ニーノの指先の空気がゆがみ、五つの球体が浮かび上がる。物質ではなく、空気が球に見えている感じ。その五つを腕の一振りで、放つ。同時に風が巻き起こって、球は竜さまめがけて飛んだ。気流に沿って竜さまの頭から尻尾まで行くと、球はニーノへと戻ってくる。それをまた、竜さまに放つ。
ゲームやアニメで見る風の魔法みたいだけど、竜さまは気持ちよさそうに、顎を上げてみたり、首の後ろを見せてみたり――。
一度、洞の奥で石筍がぱんっと割れたけど、大丈夫なのかな。
ぼーっとしている間に、竜さまはすっかり、すっきりした顔になっていた。
「どこか、お痒いところは」
ニーノの言葉に、ここ、と角の付け根を見せてくる竜さまに胸が痛い。
――うむ。満足じゃ。
声が響いたときには、竜さまのオーラがいちだんと輝いているように感じた。
「ニーノ、今のって、まほう?」
「そのようなものだ」
ニーノが私を見下ろし、おにぎりに目を留める。
「――ひとつくれるか?」
急に始まった芸当に、すっかり食べるのを忘れていた。
無言で差し出すと、ニーノはその場できれいにあぐらをかき、食べ始める。
――とっても珍しい。
私も隣に腰を下ろし、ふくふくになった竜さまを見た。
――ブラッシング、要鍛錬。
心に刻んで、おにぎりを頬張る。
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