14.エステルの理
「ニーノ、説得する人は、エステルさん?」
「そうだ」
悠々と歩くニーノに並ぶには、やっぱり小走りになる。
「エステルさん、病気治す気ないのですか?」
ニーノはしばらく答えない。
「エーヴェ、貴様はディーの足の痛みを思って、ディーを治療してくれと言ったな。エステルは、そういうことは考えない」
どういうこと?
「エステルは自分の理が全てだ」
ほう? 合理的ってことかな?
「エーヴェ、私はエステルに許可を得る。貴様は、外で待っていろ」
「はい」
ニーノは家に上がっていく。後をついていって、入口の横の柱にもたれて座る。竜さまの鱗越しに、竹林を見回した。上に向ければ星がにじんで、きらきらしてる。
「竜さまの甘露をいただいて、ありがたいことだよ」
エステルの声だ。
「私はできるだけのことをする。それには貴様の協力が必要だ。エステル」
「私は協力しているが?」
「生きようとする意思が足りない」
あれ、ぜんぜん竜さまの鱗の話にならないぞ。
「生きようとする意思の有無で、術後の経過は大きく変わる。私が診る患者の多くは動物だが、生きることへの無垢な希求は、私の技術以上に彼らを救っている」
「意思か。――ニーノの実感はそこにあるかもしれないが、私の実感はそこにない。キミの術式を聞いて、無理だと判断している。腫瘍が全部摘出できたとしても、身体機能を維持できるだけ残らないだろう? 摘出に何時間かかる? 出血の量は? 輸血もままならないのに、現実的じゃない」
ぽかんと口が開く。
お昼に会ったエステルと、同じ人物とは思えない。淡々と揺るぎなく話すところは、ニーノと似ているけど、ずっと冷たい。
「プラシドの協力を取り付けた。毛細血管や細胞蘇生を意図しない臓器の切開は、傷口を焼くことで出血を抑える」
「なるほど? しかし、まずはこの手術の必要性からだ。これだけの量の腫瘍を取って、予後は何日だ?」
なんだか、複雑な話になっていく。エステルもお医者さんなのかもしれない。具体的な手術の内容について議論していて、ちんぷんかんぷん。
「――何にせよ、プラシドの説得はうまくいったわけか。足一本失うかもしれないが、あいつは致命的じゃない」
「貴様は、なぜ致命的になるまで放置した」
ニーノの声は冷静だけど、やっぱり少し怒ってる。自分がいちばん大事だと教えてくれたニーノだから、怒るのは当たり前だ。
だけど、エステルは怒ってない。だから、とても声が冷たい。
「もともと不毛の地の影響が、身体に現れる過程を見たいと思っていた。キミを呼ぶつもりもなかった。だが、プラシドのことが起きたからな。あいつは自分の病気では助けを求められない。しかし、キミならプラシドは治せる」
「腫瘍の浸食過程を自分一人で確かめて、何の意味がある」
「研究者の全てが、自分の研究を共有したいわけじゃない。……まぁ、この世界じゃ当てはまらないね」
何言ってるのか、よく分かんないよー。
いろいろまとめると、エステルは腫瘍が見える特性を持っている。不毛な地の影響で自分が腫瘍に冒されているって気がついたけど、そのまま放置してどんな風になるか見ていた。その結果、死ぬことも分かってたけど、治すつもりはなかった。でも、プラシドが病気で、それを隠しているのが分かって、治療のためにニーノを呼んだ。自分の治療じゃなくて、プラシドの治療のために、ってこと?
やっぱりよく分かんないな? エステルは生きたい気持ちがないのかな? そんなことある?
むーと腕を組んだ。そこで見つけた物に、はっとする。
「あー――! ニーノ!」
すだれをはねのけて、室内に駆け込み、竹筒を見せる。
繊細な茎の上の大きなつぼみが、ゆっくりとほどけて花開く。
白いきれいな花だった。たくさんしべがある梅の花みたい。
微かに芳香が漂う。
「咲いたよー!」
二人の大人に見せて、はっとした。
「……エーヴェ、お花が見せたかったのです!」
ニーノに、入っていいって言われてない!
ニーノはしばらく冷たい目をしていたけど、お花を見ると、諦めたみたいにエステルを見る。
「キミは……花をわざわざ持ってきてくれたのか?」
エステルの質問にはっと飛び上がる。
筒をその場に置いて、竜さまの鱗を持って戻った。
「エステルさんに貸します! りゅーさまの鱗はきっとご利益があるのです」
エステルの肩に立て掛ける。
円い蝉の羽みたいに、竜さまの鱗が輝く。
「お山さまの鱗か。美しいな」
あせた口元に、笑みがほころぶ。
「ずいぶんお会いしていない。お変わりないか?」
「ああ」
「エステルさん、りゅーさまに会ったことありますか?」
エステルは小さく頷く。
「竜さまと旅をしたとき、はじめに来た場所がここだ」
「おお!」
確かに、いちばん近い座がここだもんね。
でも、それじゃ、本当にずいぶん前のことだ。
「お山さまは美しい方だったな」
「今もたいへんお美しい」
「はい! きれいで大きくて偉大!」
賛成すると、エステルが微笑う。
そして、ふと真顔になった。
「そうか。ニーノもエーヴェもお山さまが好きなんだな」
「そーだよ!」
「私は――、唯一、竜さまが好きだ」
「お?」
唯一?
「そうだな。ニーノ。――キミがここへ来たことへの敬意が足りなかった」
ぞっとするような妖しさをたたえて、紫の瞳が笑みに歪む。
「キミが払った犠牲に見合うだけの努力を、私もしなければ不公平だな」
訳が分からずに、ニーノを見上げる。
ニーノは軽く息を吐いた。
「では、明日の夜に手術を行う」
「承知した」
ぽかんと二人を見比べる。
今、エステルの理が通ったのかな?
エステルは怖い人です。
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