5.鳴り竹のわけ
お泥さまは、ゆったりと身体を揺らして、広い水面に大きな円を描く。
水面の上に出ているのは身体の上の線だけ。見えてるところだけでも二十メートルはある。なだらかな線の上にのった水生植物が、動きにつれてずるずる落ちる。
揺れる水面を見ると、尾っぽも長いみたいけど、水中にあってよく分からない。
身体は黒っぽい。でも、渋い濃茶のまだら状にも見える。
ゆうゆう泳ぐ姿が気持ちよさそう。
「おどろさまは泥が作れますか?」
竹筒をのぞき込みながら、ルピタに聞いた。
「竜さまは自分の周囲をへんしつさせるんだって」
「へんしつ」
水から花が咲くのはどういうことだろう?
「んーとね、エステルから聞いたんだけど、竜さまが楽しい気持ちだと他の生き物の食べ物になるへんしつが起きるの。嬉しいと花が咲いたり、木が生えたりする物にへんしつするんだよ!」
「すごい!!」
この近くの鳥や虫や草の数が多いのは、お泥さまのおかげなのかも。
「でもね、怒ったり、悲しかったりすると、毒になるんだよ」
「なんと!」
他の生き物を育むことも傷つけることもできるのか。
――ゆえに、心を修めておる。
すう、と近づいたお泥さまが、目を細めて見下ろしている。
冷めた鉄に似た赤い瞳。
ぞくっと背筋に寒気が走る。
……こわいなぁ。
でも、すごくかっこいい。
「だから、今、竜さまはちょっぴりしか力を使わないの」
ルピタは誇らしげに教えてくれる。
神妙に頷いた。
「エーヴェ、おどろさま偉大だと思う!」
黒曜石の瞳がますますきらきらする。
「あのね! 私たちは、竜さまが楽しいように、踊ったり歌ったりするんだよ!」
「おおお!」
いいな、いいな!
竜さまのために何かしてるなんて、とっても付き人っぽい。
「すごいね!」
はっと、ひらめいた。
「鳴り竹はおどろさまが好きなのですか?」
「いつも音がしてたら、さみしくないもんね!」
昨夜、カエルの声とかとってもうるさかったけど。
でも、ちょっと分かる。自分たちがいるよと伝えたいんだ。
「おどろさまー! 鳴り竹好きですか?」
声をかけると、お泥さまはおっとりと瞬きした。
――からん、からんと。
不思議な言葉が返ってきて、きょとんとする。
隣でルピタが笑った。
「からん、からんと竹の音ー、竜さまの水脈の揺れとなれー、からん、からんとぉ」
歌いながら、ルピタが筏の上ですり足に踊る。
まるで能みたいに、重心を低くした舞。ルピタタタンのステップとは、全然違う。
お泥さまの周りがほわほわと光った。
「すごーい!」
これ、楽しいな!
私もからんからんと真似をする。
そのうち、お泥さまが水に潜ってしまった。
「あれ、おどろさま?」
ルピタがぴたっと止まる。
「あのね、あんまり嬉しいや楽しいがたくさんになっても、よくないんだ。だから、竜さまは、ときどき水に潜っちゃうの」
「ええ! おどろさま、たいへんです」
いつも心を平静にたもたなくちゃいけないってこと?
お坊さんみたいだな。
「怒るのがいっぱいでも、大変なことになるんだよ。昔々、竜さまがとっても怒ったときは、すごいたくさん角が生えて、雷の翼ができて、触れた水は全部毒に変わっちゃったんだって!」
「うわー! かっこいいね!」
「そうでしょ!」
ルピタは興奮気味に跳ねている。
「だったら、嬉しいがいっぱいになっちゃったら、光の羽ができて、お花がとってもたくさん咲くかもしれないね!」
「……ふわぁぁぁああ!」
ルピタが感動で震えている。
「すばらしいね!」
「うん、すばらしいよ!」
しばらく素晴らしさを噛みしめていたルピタが、顔を引き締めた。
「あ、でも、エステルが言ってた。良いことでも嫌なことでも、かじょうは困ったことになるんだって! きっと、だから、……あんまりよくないよ!」
具体的なことは分からないけど、あんまり良くないんだな。
「エステルさん、かじょうを見たことあるのかな?」
「どうかな? エステルは長く生きてるから、見たかもしれない。見たから、良くないって知ってるんじゃないかな?」
二人で首をひねっていると、またちゃぷんと波が筏を打った。
むお、とお泥さまが顔をのぞかせる。
「おどろさま!」
「竜さま!」
――エーヴェ、ニーノが呼んでおる。
ぱちぱちと瞬きした。
「ニーノが?」
――エステルが呼んでおる。
あ、会ってくれるのかもしれない。
「じゃあ、戻らなきゃいけないね」
ルピタが言うと、お泥さまがまた水に潜ってしまった。
もうお泥さまタイムはおしまいかな?
しょんぼりしたら、急に筏が揺れる。
「うわっ? うわ?」
ルピタが慌てて竿を引き上げ、私は筏に尻餅をついた。
ぐいぐいと視界が高くなり、周りの水草が打ち上がる。
筏はお泥さまの背中の上にあった。
「竜さま、送ってくれるよ!」
――送ろう。
お泥さまは言葉より、行動が早いタイプなのかな。
長い竿を筏に横倒しにして、ルピタはあぐらをかく。私も隣にあぐらをかいた。
大きい背中が、すーいすーいと葦の間を抜けていく。
大きなサギが白い翼を輝かせて飛び立つ。
ゆったり進むけど、筏より速い。
VIP席みたいに良い気分だ。
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