4.おどろさま
お待たせしました。
筏は、竹や茅の間を通り抜けていく。
風はあるけど、水面は穏やかで速度もゆっくりだ。広い水面は空の色を映しているけど、近くから見ると水は茶色っぽく見える。
水の深さの見当がつかないから、ちょっと不気味。
水路はやがて、見渡す限りの湿原に通じた。
浅い水辺には、あちらもこちらも鳥が群れている。スイレンに似た丸い葉っぱが並ぶ水辺を過ぎる。
くねくねと身体を揺らしながら泳いでいくヘビに、ビックリした。
「ヘビ! ミズヘビ?」
「あれはヘビだよ。ヘビは泳ぐの上手だもんね。水の上の鳥の巣で、卵やヒナを捕ったりするんだよ」
「おおお、強い」
「うん。才能だよ!」
ルピタは沼の底を突いて、忙しく竿を引き上げ、また底を突く。
「漕ぐの難しいですか?」
「けっこう力が要るんだ。ここは流れがゆるいから、自分で押さなきゃいけないの」
「流れがあるほうが力が要らない?」
「流れると、行く先を決めるのに力が要るんだよ」
ルピタが、ふんす、と力こぶを見せてくれる。
私も“ふんす”の真似をした。
だんだん葦が減っていく。
広い水面に、浮き草がたくさん。水があるのにまるでコケの庭みたい。
「おどろさま、まだいない?」
手をかざして、三六〇度を見渡す。
竜の気配は分からない。
「もうここは竜さまの水脈だよ」
ルピタは竿を底に突き立てて、両手を口元に添える。
「りゅーさまー! エーヴェが来たよー!」
鳥が何羽か飛び立った。
私も、両手でメガホンをつくる。
「おどろさまー! こんにちはー! エーヴェが来たよー!」
少し待ってみる。
旋回した鳥が戻って来た。
「りゅーさまー! お山さまのところのエーヴェが来たよー――!」
「おどろさまー! エーヴェだよー!」
ぱちゃん
筏の先に水しぶきが立った。
「おどろさま、いない?」
ルピタはぷるぷる首を振る。
「いらっしゃるよ。もう聞こえてる。竜さまはゆったりなの」
「ゆったり」
ぱちゃん、ぱちゃんと筏に水しぶきが砕ける。
――おーぅ。聞こえた。
声が届いた。低くこもったチューバの響き。
「おどろさま? エーヴェだよ!」
足下が動いた気がして、お腹に力を込める。
ゆったり、ゆったりと水面に波ができている。
海岸みたいにはっきり波頭が見えないから、気がつかなかった。
むわん、と水面が盛り上がる。
筏が揺れて、ルピタがぎゅっと腕をつかんでくれた。
ぽかんと口が開く。
水草をいっぱいのっけて、頭を出したおどろさま。とっても大きい。見えてる頭の幅が三メートルくらいある。水面から出ている部分の高さは、せいぜい一.五メートル。
ネッシーのモデルって言われるエラスモサウルスみたいなイメージだったけど、おどろさまはもっと、これは、オオサンショウウオに近い。
離れたつぶらな目が、ゆったりと瞬きした。
――ルピタ。エーヴェ。元気か?
「はい、竜さま。ルピタは元気です!」
ルピタはきらっきら笑顔だ。
「はい、おどろさま! エーヴェは元気だよ!」
両手を上げる。
おどろさまはゆったりと瞬きする。鼻の辺りに引っかかっていた水草が、ゆーっくり滑って、水中に戻った。
――エーヴェ、よく来た。
しばらくぶりに聞こえた言葉に、背筋が伸びる。
「エーヴェ、おどろさまに会えて、嬉しいです!」
お泥さまは、ゆったりゆったり瞬きする。
何か、変な感じがして周りを見た。
お泥さまに触れている水が、微かに光っている気がする。
蛍みたいな光。
でも、太陽が明るいから、ちょっと自信がない。
「竜さま、喜んでるよ」
ルピタを見て、首をかしげた。
「竜さまの気持ちは、周りの水に影響を与えるんだよ。今、水が光ったよね?」
勢いよく頷く。
「エーヴェ、見ました!」
「あれはね、竜さまが嬉しかったり、喜んでるからだよ」
「なんと!」
ルピタは竿を引き抜いて、お泥さまの近くに筏を寄せる。腰にさげた竹を割っただけの簡単な器を水にくぐらせる。
「はい。あげる!」
渡されて、両手で受け取った。
水のはずが、見ると、竹の中で泥に変わっている。
「持ってて! きっと夜に、お花が咲くよ」
「お花!?」
「一晩で枯れちゃうんだけどね」
感動で声が出ず、手に持った竹筒を捧げ持つ。
花が咲く!
いったいどんな花なんだろう?
――わしも、嬉しい。
のんびり返ってきた声。
きょとんとして、おどろさまを見上げた。
「竜さまはゆったりなの」
ルピタがにかっと笑う。
わー! わー! わー!!
跳ね回りたいのをこらえるのが、大変だ!
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