16.重要な学び
「私は少しやることがある」
ニーノがカゴを引き寄せた。髪や顔を布で覆って、器を取り出し、何種類か薬を混ぜていく。
のぞき込もうとすると、布を被せられ、口元も覆われた。三角巾、マスクだから、お酒を造ったときよりガードが固い。
「ニーノ、これお薬? 混ぜるの?」
「そうだ」
見ていると、薬の袋を開けて、中身を器にあけ、薬の袋を閉じ、次の袋を開ける。
すごい早業。しかも秤がないから、全部、ニーノの勘頼みってことだ。
「ニーノ、なんで袋の口、いつも閉じますか?」
身体がくっついていれば、手と手じゃなくても会話ができるので、ニーノの左膝にひっついて手許をのぞいている。
「湿気や、不意にこぼれる心配がある」
器に混ぜられた薬を、小さな紙の袋に流し込み、口を閉じる。
「ニーノ、何回も同じの作ってる。どうして一気に作らないの?」
器を五つ用意して、それぞれに分量ずつ注いでいけば、一回で五個できるはずだ。
「――器の数が少ない。作業を身体が覚えているから、万が一の入れ忘れが起きにくい」
「ほー」
「本来は、実際の患者と症状を診て、はじめて薬を調合するが、今回は事前にかなり細かく状況を聞けた」
「お薬で治る?」
ニーノから答えは返らなかった。
「ニーノ、今もう、砂漠の上?」
薬の調合があらかた終わったと見て、床を示す。
まばらに黒い点が散っていたのが、今はただの白。ぼんやりと濃淡がある。
「そうだな。ここは砂の砂漠ではなく、礫が多い。竜さまの庇護もお泥さまの庇護も届かない範囲だ。また緑が見え始めれば、お泥さまの庇護に入ったことになる」
「ふーん」
もっとしっかり見えたらいいんだけど。礫の砂漠ってどんなものかよく分からない。
「おどろさまって、竜さまのお友達?」
「ご友人かどうか、確かめたことがない。竜さまよりずいぶんお若いはずだ」
若いって言っても、きっと一万年くらい生きてるんだろうな。竜だもん。
「前、ニーノが言ってた八の竜さまって、みんな竜の座があるの?」
「お骨さま以外は、座を設けておいでだな。私が訪ねた座は六で、邸も含めれば七になる」
「そっか、邸も竜の座!」
すごくかっこいい名称だけど、邸と洞を思い出すに、たいしたことなさそうだ。パルテノン神殿とか世界遺産的なのを思い描いちゃいけない。
「竜の付き人は、自らの親竜――自分の座の竜さまを『竜さま』とお呼びする。今向かっている座の竜さまをわれわれは『お泥さま』とお呼びするが、あちらの付き人は竜さまと呼んでいる」
ん? なんだかややこしいな。
「じゃあ、エーヴェたちが竜さまって呼ぶ竜さまと、他の人が竜さまって呼ぶ竜さまは、別の竜さま?」
「そうだ。他の座の付き人は、竜さまを『お山さま』と呼ぶ」
「おやまさま!」
新鮮!
「でも、あんまりかっこよくない!」
「無礼な。耳慣れないだけだろう」
そうかなぁ。
やっぱり、竜さまがいちばんだと思う。
「まあ、実際のところ、皆、竜さまと呼びたいのだろう。あちらでお山さまと聞いたら、竜さまのことだと思え」
そうか。みんなが自分の座の竜さまが竜さまだって言ったら、ケンカになっちゃうもんね。
「エーヴェたちは、りゅーさまをりゅーさまって呼んでいいの?」
「当然だ」
ほう。相手に合わせて敬意を示したりは、要らないんですね。
「それから、人が落ちる確率は場所によって変わる。竜さまの近くは、頻度が低いようだ」
人が落ちるって、転生して砂漠に放置されるってことだよな。
「――ようだ?」
「他の座と定期的にやり取りをするわけではないから、確証は持てない。――つまり、他の座のほうが付き人の数が多い可能性がある、という話だ」
なるほど、そうなのか。
「じゃあ、おどろさまの座にはたくさん人がいる?」
「何人いるかまでは知らないが、邸よりは多いはずだ」
「そこに子どももいるー!」
両手を上げると、ニーノは頷いた。
「お泥さまの座は近いので、ときどきやり取りがある。ジュスタも行って、技術を交換したことがある」
「なんのぎじゅつー?」
「――話してしまっていいのか?」
ニーノに見下ろされ、はっとして首を振った。
そーだ、今から行くんだから自分で確かめればいいんだ。
「他の座はぐっと遠くなるから、訪ねるにも入念な準備が必要になる。竜さまの庇護がない場所は、不毛の地だ。生き延びるためには食料と水を運ばなければならない。どう運ぶのか、どれくらいの量が必要なのか……。他の竜の座に着いても、食料と水を得られる保証はない」
青白磁の目は、冷静に私を見下ろしている。
「旅をするというのは、簡単なことではない。叶えたいなら、よく学ぶことだ」
すでに退屈を持て余した前科があるので、ニーノの言葉が重い。
「はい! エーヴェ、学ぶよ! 友を得るよ!」
竜さまに言われた課題もクリアしちゃうもんね。
「それでね、エーヴェ、トイレ行きたい」
「そうか」
だいぶ長い時間、トイレに行っていない。どう見ても、エレメントの中にはトイレが存在しないのだ。
ニーノが立ち上がり、尻尾の近くに行く。膝をついて、壁と床のつなぎ目滑り台をなでなでした。
「――おお!」
すりガラスの壁と床がくぼみ、溝ができる。
「ここでいい。用が済めば、二度ほど床を叩け。エレメントが吸収して、外に排出してくれる」
「なんと!」
それは、ちょっとまずくないですか?
列車とか、その辺に糞尿まき散らしてた時代があるとは聞いてますけど。
「この高さだ、地上に着く頃には飛沫に変わっている」
「……そっかー」
ニーノがカゴの壁の向こうに行ってしまい、しばらく溝を眺める。
「――鳥さんとおんなじだね」
学びは、いろんなところから始まるようだ。
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