10.ニーノ暦
またも、遅くなりました。
しばらく四つんばいで歩いてみたけど、やっぱりすこぶる遅いので走った。
「りゅーさま! 見てー!」
洞に駆け込んで、くるっと一回りする。
――む? なんじゃ、それは?
竜さまは首を降ろして、しげしげ眺めた。
――穂じゃな。穂が生えておるぞ。
「穂じゃないんだよ! これっ、これも見て!」
ぴるぴるっと耳を振るわせる。
――ふむ。それは布であろう。
むー。そうじゃないのだ。
「これ、りゅーさまの耳だよ! これはきらきらつやつやのりゅーさまのたてがみ! これはりゅーさまの角だよ!!」
説明すると、竜さまは目を細める。
――ふむ? エーヴェはそう思っている、ということか?
う。ちょっとぐっさりだ。目をぱちぱちする。
――昔、ジュスタもそのようなことをしたな。
目の前にふわっと映像が立ち上がった。
くるくるカールの黒髪の少年が、興奮した様子で穂を見せに来ている。輪っかは付いていなかったのか、自分の手で押さえてぴょんぴょんしている。
うわー! ジュスタかわいい。これは、きっとエーヴェもかわいいぞ。角と耳まで増えてるからね!
でも、竜さまにまったく受けないのはショックだ。
「んー、あのね、りゅーさま。これはりゅーさまの格好を真似して作ったのです。この木は角。エーヴェの頭の上にあって右側が短いのは、りゅーさまとおんなじ」
――ほう。
おそらく見立てという考えが、竜さまにはないんだな。
「これ、みんなで作ったりゅーさまに似るための服なんだよ」
ふわっと鼻息が触れた。
――ふむ。人間は面白いな。人の姿は不満か?
おお、そう来たか。
「不満じゃなくて、ちょっと変えたいのです。好きなものとか、かっこいいものに似るのってとっても楽しいもんね! エーヴェもジュスタも、りゅーさま大好き」
四つんばいになって歩いてみる。
「ほら! 似てない?」
――ふむ、ふむ。分からぬ。
そうかぁ。
――しょげるでない。いつか分かるようになるやもしれぬ。
「……はい!」
新しいことにチャレンジする竜さま、偉大です。
植え付けた穂は、五日目にはぼふぼふになって、綿毛をそこらに散らし始めた。
「室内で走るな。綿が飛ぶ」
ニーノに言われて、外で走り回る。綿を飛ばして走るのも楽しい。
「きらきらーふわふわー!」
今日が五日目だと分かるのは、算日器を見せてもらったからだ。
「どうやったら、二千六百日越えたって分かる?」
質問に、ニーノは邸の二階に案内してくれた。
やや広い部屋に、何本も刻み目が付いた角材が置かれている。
角材の山の手前には、平均台っぽいものがある。でも、とても上には乗れない。溝が掘られた角材に、のこぎり状のぎざぎざが刻まれている。
「あ! 小さいりゅーさま!」
刻み目にうまくはまるように、棒が付いた竜のモチーフが置かれている。
「それはジュスタが作ったものだ」
もともとはただの棒だったそうだ。大事なものだから、ジュスタが意匠をつけてくれたのだろう。
のこぎり平均台に駆け寄った私の隣に立って、ニーノが刻み目を指さす。
「刻み目は六十ある。この竜さまを毎朝、一つずつ前にずらす」
次は奥の角材を示す。
「いちばん端に行ったら、あの柱に一つ刻み目を打つ。刻みは六十四で次の柱に移る。それで日数を把握する」
意外なほど原始的。そして、計算しにくいな!
えっと、一本の柱のマックスが三千八百四十。私が……。
あれ?
「エーヴェがここに来たの、いつ?」
これって、経過日数は分かるけど、記録はできない。
「あれだ」
ニーノが壁を指し示す。
そこに刻み目があった。
なんだろう? くさび形文字ですか?
「これがシステーナ。これがジュスタ」
ニーノが指で、一つ、一つと示す。
「これが貴様だ。エーヴェ」
ニーノが記録してくれたんだ。
「今日でちょうど一,八四五日だ」
その数字は、あんまりちょうどって言わない。
「まだまだ早い」
「むー」
不満だが、ちょっと嬉しい。
自分の日付が書かれた刻みをなでる。
「ニーノのは?」
聞いて、すぐ気がついた。
これはニーノが始めた記録だから、ニーノの日付は分からない。
「記録されていないのは、私だけではない」
気にするなってことだろうか。
でも、これって即ち、ニーノ暦なんだな。
角材の数を見て、改めてニーノの時間の長さを想像した。
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