8.嵐と赤い目の竜
遅くなりました……。
夕陽を隠した雲は、夜中に雷を鳴らしながら雨を叩きつけてきた。
青白い閃光で、部屋がくっきり浮かび上がってどきんとする。自然現象だと分かっていても、大きな音と光にはびくびくだ。
竜さまの鱗をかぶって天井で見えない空をうかがううちに、雷も雨も去って行った。
雨が過ぎても、いつも賑やかなジャングルの声は静まっている。空模様をそっと見上げ、よかったねと言い合ってる雰囲気を感じて、力が抜けた。
そうして、また眠っていた。
「あー! わかった!」
整備した畝に豆を埋めていっているとき、それは頭に降ってきた。
「なんだ、どうした?」
システーナが顔を上げてこっちを見る。
「手を止めるな」
すぐさまニーノの声が飛んだので、作業を続ける。
一昨日土起こしをした畑で、朝から草をすき込み、畝を立てて、みんなで豆を植えている。人差し指で穴を開けて、豆をぽとり。その繰り返し。
「昨日の夜、雷がね、エーヴェの部屋を明るくしたんだよ」
そのとき、何か違和感を覚えたのだ。
凄腕の探偵が、犯人の手がかりを見つけた感じ。
「ジュスタの作った竜さまの目が、赤かったのです!」
竜さまの目は金色だから、あれは――。
「ふっふっふ、ばれてしまったか……」
「え? シス、何か知ってる?!」
思いがけない方向から来たリアクションに、身構える。
「ジュスタの間違いでーした」
「知らないなら黙っていろ、システーナ」
二人の言い合いに、ジュスタが噴きだしている。
「ジュスタ間違わないよね!」
ぶうと頰をふくらませて聞けば、ジュスタは苦笑してニーノに視線を投げる。
「構わん。システーナがすでに話している」
よどみなく豆を植えながら、ニーノが答えた。
「あれは――、前にいた世界の竜さまだよ」
「前……?」
あ! これ、あれだ! 前世だ!!
「ジュスタのいた世界に、竜さまいた?」
「竜さまみたいな、実際の竜はいなかったよ。竜は架空の動物で、嵐を連れてくる。強いつばさで風を起こし、声は雷鳴になる。ときどき昇る赤い月は、竜が世界をのぞいてるからなんだ」
「でっかい竜さまだな」
あっはっは、とシステーナが笑う。
月から世界をのぞく竜さま――なんだか、かわいい。
「俺が住んでいた場所は海に面していて、嵐が来るといつもよりたくさんの魚が捕れた。米も作っていたから、雨も大事だった。雷や風は怖いけど、竜は俺たちにとって大事な存在だったんだ」
「うん。竜さまはだいじ」
ジュスタはにっこりする。
「俺が住んでいた場所では、家の入口に竜の像を飾るんだ。大きさはいろいろ。それを思い出して作った」
「だから、目が赤いんだね」
ジュスタは頷いたけど、ちょっと引っかかる。
「なんでりゅーさまじゃなくて、前の世界の竜さま作ったの?」
あのモビールはとってもお気に入りだけど、どうしてわざわざ前の世界の竜を作ったんだろう。
うーん、とジュスタは、苦笑いする。
「作ってみたかったからだよ」
豆をぽとりして、首をかしげる。
「前の世界では、作らなかったの? ジュスタ、物を作るの大好きなのに?」
「――そうだね」
ジュスタも豆を植える手を止めない。
「エーヴェ、人が多くなると社会ができるのを知っているかい? 俺たちみたいに数が少なければ、みんなで意見を言うのも、相手が何をしたいか知るのも簡単だ。でも、人が多くなると、全員に話を聞くのが大変になる。だから、決まり事――ルールを作る」
それは分かるよ。私の前世もここに比べれば、遙かに多くのルールがあった。法律も常識もマナーも慣習も、突きつめればルール。
「ルールの一つが、女は物を作ってはいけない、だった」
ぱちんと瞬きする。ジュスタをしげしげ見て、あっと口を開けた。
「ジュスタ、女の人だった?!」
「そういうこと」
「なんで女は物作っちゃいけねーんだよ」
豆を植え終わって、みんなで農具を片付ける。
「男と女の仕事が決まっていて、お互い、相手の仕事をしちゃいけないんです」
「なんでー?」
「答えを求めるな。ジュスタが作ったルールではない」
ジュスタにつめ寄るシステーナを、ニーノが制した。
「シスさんのところは、女と男で仕事が違ったり、扱いが変わったりしませんでした?」
「はー? おんなじだよ。おんなじだけ腹が減って、おんなじだけ殴られた」
それは同じどうこうの前に、尊厳が踏みにじられてる。
「シス殴ったやつ、きらい! ジュスタに物作らせなかった社会も、きらい!」
「まあまあ、エーヴェ」
ジュスタがだっこしてくれた。
「俺は完全に作れなかったわけじゃない。――うーん、ちょっと長い話になるけれど」
「どうせ昼飯だ。ゆっくり話せ」
ニーノの手伝いで、くつろぐみんなに葉包み焼きを配って、私も岩の上に腰掛ける。
「俺の父親は、物を作る技術をもった人の集団に属していました。だから、俺は小さい頃から物作りを間近で見ていて、幼いときは父もこっそり道具を使わせてくれたんです。でも、母はそれをいやがった。母は女の仕事で忙しいですから、俺が手伝わないのは困ったわけですね」
「女の仕事ってどんなの?」
葉をきれいに折りたたみながら、システーナが聞く。
「料理と掃除と裁縫と農作業、子どもや老人の世話ですかね」
「じゃあ、男は?」
「漁と建築、道具作り、お祭り」
「お祭り?」
急に楽しそうなのが来た。
「俺たちは、うまく生きられるように、竜さまにお祈りしてたんだよ。そこで、もめ事や相談もしていたらしい」
ああ、政治ってことかな。言葉通りのまつりごとだね。
「それで物作りからは遠のいて、女の仕事をしていたわけです。父は俺を同じ集団の若い職人と結婚させました。四人子どもを産みましたよ」
うわぁ、ジュスタが四人も子どもがいるお母さんだったなんて!
「夫と子どもと夫の両親の世話で、たいへんでした。でも、夫と夫の両親の死後、息子が後ろ盾になってくれたんです。息子は地域の有力者に気に入られて、生活にも余裕があったんですよ。年寄りが何をしようと構わない、物作りがしたければやるがいいと」
「おお!」
なるほど、ジュスタは比較的、運が良かったのか。
「まあ、表だってやることは嫌がられましたけど、あの頃がいちばん楽しかった。頭の中にあった物を、自分の手で触れるのはとても気持ちが良かった」
感触を思い出しているのか、ジュスタは掌を眺める。
「――でも、竜は作ってはいけなかったんです。竜と、船は」
「なんでー?」
思わず、抗議の声を上げる。
だって、もう余生だよ! 好きにさせてよ!
「竜は神だから。女が神を作るのはおかしいんだって」
「ああぁあ?」
システーナみたいな声を上げてしまった。
「神って何だ?」
「――竜さまを、別の視点からとらえた存在だ」
システーナとニーノも、とんちんかんな会話をしている。
「俺は竜が作りたかった。あの世界で、俺は何度も、嵐に、風に、雷に、荒れ狂う雨に助けてもらったんだ」
遠くを眺めた横顔に、ふっと嵐の海岸で立ち尽くす人を見た気がした。
雨を含んだ黒髪が、風にもつれている横顔――。
「だから、雷で目が赤かったんだね」
ジュスタははっとして、にっかり笑う。
「うん。――そうだな」
頭を左右に揺らされながら、ジュスタがどうして死んだのか思いをはせる。
いや、死因なんか関係ない。
古老の竜さまに連れられて、ジュスタもこの世界に来た。
そして、今、たくさんの物を作ってる。
竜さまだって、きっと船だって作れるのだ。
「ジュスタ、ようこそ!」
両手を上げると、ジュスタがにっこり頷いた。
蜂蜜がとろとろだ。
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